見出し画像

多様性についての雑記

あるタイミングであるテーマのもと、多様性についての文章を書く機会がありました。私がアメリカに一年いて感じたことをうまく言語に落とし込むことができたし、#多様性を考える というぴったりなタグを見つけたので、せっかくだからここに残しておこうと思います。

----------------

アメリカは多様性の国だ、とよく言われる。いろいろな人種、宗教、国籍の人が住んでいる。そんな国に一年間留学して、真の多様性とはこういうことかと感じる出来事があった。

アメリカには選択肢が多い。

例えば食堂では、アレルギーへの配慮はもちろん、同じメニューでも肉や調味料をかえて宗教やヴィーガンといったそれぞれの生き方に合わせた選択肢を提供していた。アンケートで性別を選ぶときには、男女以外の選択肢があるし、誰でも使える生理用品は女子トイレだけではなく、多目的トイレや男子トイレにも置かれている。町に出ると、至る所に英語以外の表記が見える。スペイン語だけでなく、ソマリアからの移民が多い街だったので、彼らの言語も町にあふれていた。アメリカではこれらが当たり前のこととして日常に溶け込んでいる。

私はアメリカで、多様性とは自分らしくいられるための選択肢の多さだと気づいた。選択肢があるということは、社会の中で「存在」が認められているということだ。逆に言えば、選択肢がないということは、その存在が想定されていなかったり、排除されていたりするということと同義だ。つまり、社会のシステムからこぼれ落ちていたり、見過ごされていたりしている存在がある。

日本はアメリカに比べると、人種、宗教、国籍といった点で均一性の高い社会だと言われる。しかし、一人一人個性があって、それぞれの生き方をしているということに関しては、日本もアメリカも、他の国であっても変わらない。この視点から見れば、日本人だって本来は多様なのだ。

存在を想定すること、だれもが選択できること。そのために、どんな選択肢が必要だろうか、既存の選択肢のみで十分だろうか、と身のまわりを見直していけば、今まで見えていなかった存在に気付くはずだ。日本が多様性を尊重する社会になっていくために必要なのは、自分が自分らしく存在できるためのより多くの選択肢だと思う。

この記事が参加している募集

#最近の学び

182,276件

#多様性を考える

28,113件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?