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ぼんやりと、でもリアリティのある感覚: #映画違国日記感想

Worlds Apart

何にそんなに惹かれたのかは分からないけど、とても楽しみにしていた映画がある。

「違国日記」

原作は漫画らしいけど、知らなかった。
がっきーは好きだけど、出演作品を片っ端から追うほどではない。

普段、観たい映画があっても公開初日に行くなんて気合いを入れたことはしないけど、この作品は、公開日が仕事休みということもあって前々から今日行こうと決めていた。

期待以上だった。今年観て良かった映画リストどころか、私の大好きな映画リスト入り。

心地よいずっしり感

白か黒か。0か100か。普通か普通じゃないか。
思春期の揺らぎというフィルターを通して、なんでもかんでもはっきりさせてしまう、身の回りのあらゆることについて見つめ直す映画。

愛せるかどうか分からない姪っ子と叔母は「家族」なのかとか。血の繋がった母と娘の間にある「愛情」はいつも正しいのかとか。別れても肩を寄せ合う元恋人同士は「親友」なのかとか。「大人」っていつ大人になるんだろうとか。

そうやって言葉の中に押し込めてしまうにはもったいない、揺らいだ関係や状態ってたくさんある。映画を観ながら、心のいちばん柔らかい部分に心地よいずっしり感がずっと押し付けられていた。

家族でも恋人でも親友でも、所詮他人。分かりあうことなんてできない。それを前提に、私もあなたも健やかに生きましょうっていう考え。そう前向きに割り切る明るい諦念が大好きで。槙生が朝に向けるまなざしにそれを感じた。

反復横跳び

子ども(被保護者)だった朝が依存していた「母親」や「大人」という存在。その存在に対してアンビバレントな感情を自覚したり、絶対じゃないことを発見したりする過程がとても好きだった。

「なんで?」「どうして?」という純粋無垢な疑問をぶつけられる子どもらしさと、「キャラじゃないかも」と悩む思春期の微笑ましさと、突然の両親の死で自立して「大人になる」ことを強いられた戸惑い。学校と家で、朝が同一人物に見えなくなる時があった。大人と子ども、確信と疑問の境界線を反復横跳びしているような揺らぐ演技。素敵だった。

映画を観ながら、槙生にも朝にも共感するところがあったのは、今のわたしも揺らいでいるからだと思う。大人になりかけ。名前を付けずに宙ぶらりんにさせておきたい感情や関係がある。まだ反復横跳びしていたい。

言葉をすき込む

仕事を始めて、日々文章を書いているからか自分の頭の中を言葉にする機会がめっきり減った。まだ輪郭を持っていない思考を言葉にするのは、事実を伝える文章を書くよりも気力と体力がいる。

この映画の感想をふんわりと自分の中に留めておいても良かったのだけれど、こうやって文字にして、私の中の土壌にすき込みたいと思った。ぼんやりとした、でも体温をもったリアリティのある感じ。数ヶ月後や数年後にこの映画を観たら、きっと違う見え方なのだと思う。楽しみ。

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