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創生と再生のスパイラル~水力発電とサウナ(3)

議員立法まで働きかけて,未点灯集落の解消をめざし,農山村・離島の生活文化向上に献身した織田史郎
彼が電気事業へと進む動機となったのが,6人兄弟の長男として家計を支えることにあったのは,先述の通り。
この織田家には運動を得意とする兄弟姉妹が多かったと史郎は広島弁で語る。

妹もみな運動選手で明治神宮の競技に出場しょったような一家だ。

機械体操のうまかったのが僕の得意でこれでも5尺2寸のバーを越えた高跳選手でしたよハッハ。

村上哲夫「ながれ」

史郎の経済的支援を受けて,上級学校への進学を果たし,陸上競技活動に邁進。猛練習の末に三段跳選手として歴史に名を刻むこととなるのが,明治38年(1905年)織田家の3男として誕生した“織田幹雄”である。

昭和3年(1928年)年8月2日,第9回オリンピック・アムステルダム大会の三段跳で,15m21cmの記録を立てて優勝。日本人初となるオリンピック金メダリストとしての功績については,あまたの文献資料があることから,ここでの言及は控える。

アムステルダムへはシベリア鉄道を利用し,ベルリン経由で赴くのであるが,幹雄は,オリンピックに限らず,海外遠征にあたり,道中を含めて仔細を記録に残している。
以下,幹雄による「21世紀への遺言」から引用する。

汽車はシベリアだけで1週間,日本を出発してからちょうど2週間目にモスコーに着いた。

モスコー滞在は着いた日1日だけで,その日のうちにすぐベルリンに向って出発した。

ハルピンを出発してからシベリア横断中は,汽車に乗りずくめであったので,次第に身体に垢がたまってきた。4,5日たつと,指先で皮膚をこすると真黒な垢がポロポロまるくなって落ちるようになった。

ベルリンに着いたら何よりもまず風呂にはいってさっぱりしたいというのが皆の気持であった。

2週間におよぶ長旅を経て,風呂への渇望はピークに達していたのであろう。
ベルリンのホテルにおける “入浴選手権” について,幹雄はあますところなく記述するのであるが,以下概略のみ引用する。

ホテルに帰って待望の風呂にはいることになったが,日本のような浴場があるわけではなく,ホテルのバスであるから1人ずつはいらなければならない。

キャプテンの沖田君と私は,一番最後でよいからと選手を先に入浴させることにし,部屋に帰って順番を待った。

もう呼びに来るか,もう呼びに来るかと待っているうちに,やがて12時を過ぎてしまったが,まだ私たちの番はまわってこなかった。

皆垢だらけであったので,1人1人の入浴時間が長くかかり,20何人かの人数にバスは1ヵ所だけということで,まだまだ時間がかかりそうであった。

結局,幹雄と沖田は,洗面器に湯を入れ身体だけを洗ってすませることに。

シベリアから待ちに待った入浴は,ベルリンの第1夜,ついに私たちは恵まれなかった。

幹雄の入浴への “執念” は,1930年(昭和5年)ドイツのダルムシュタットで開催された第4回国際学生大会への道中記にもあらわれている。
この時の欧州遠征は,6月18日出国,9月15日帰国,全行程3万㎞に及び,9ヵ国で13回の競技会に参加する大遠征であった。

この時もシベリア鉄道を利用し,モスクワ,レニングラードを経由して,まず向かった先はヘルシンキである。

7月4日朝7時半,9日間にわたる長い汽車の旅に終りを告げてヘルシンキに着いた。(中略)すぐ近くのカールトン・ホテルに入った。

早速,蒸気風呂(サウナ)に出かけ,シベリアの垢を落そうということになって,すぐ近くのサウナに行ったが,午前中は女子というので,あきらめホテルの風呂で取敢えず垢を落した。

いよいよ本場のフィンランド・サウナである。ベルリンの入浴選手権でみせた幹雄による執念の詳述は,ヘルシンキでのサウナ経験を逃さない。

サウナは2階の方にあり,はじめての経験だから恐る恐る中に入って,階段になった板に座り込む。バケツに水をいれ白樺の枝を持って待つうち,隅の焼き石にだれかが水をぶっかけると凄く暑い空気が身体に迫って来て,息苦しい。水をつけた白樺で身体をたたくと汗がぞくぞくと出て来る。

以上、織田幹雄「21世紀への遺言」

この時の幹雄のサウナ経験について,草彅洋平 氏は著書「日本サウナ史」で,次の通り述べている。

「プールに飛び込んだ時の気持は何とも言へない。プールからあがって洋服を着ると身体がポーとして何とも言へない気分になり,眠くなって来る。此れなら疲れはとれるし又元気が出て来るだろう。」
 なんと,織田は「身体がポーとして何とも言へない気分になり,眠くなって来る」というサウナハイまで体験していたのだ!日本人で最初に水風呂を体験し,「ととのった」記録を残したのは,日本人初の金メダリスト・織田幹雄であったといえよう‼

草彅氏は,幹雄が“日本の蒸風呂よりも此の方が良い”と記述したことに関して

当時織田の故郷のある広島も含む瀬戸内海に数多く点在していた「石風呂」のことだろう。(中略)通称「古代サウナ」とも呼ばれ,当時の瀬戸内海周辺の日本人は石風呂を愛用していたことからも,織田も経験していたと思われる。だからこそ本場のサウナでもすぐに「ととのった」に違いない。

 日記を読んでいて面白いのはここから織田が熱烈なサウナ通いをはじめたことだ。(中略)フィンランド滞在中はほぼ連日である。もはや日本人初のサウナ・ジャンキーといえよう。

草彅洋平「日本サウナ史」

兄の史郎が技師として,出力1万kWを超える広島電気の枢要な水力発電所(太田川,熊見,加計など)建設のため,太田川,江の川の建設現場で汗をかき実績を上げていた頃,弟の幹雄は,日本人初の金メダリストとして,金字塔を打ち立てるとともに,日本人ではじめて “ととのった” サウナ・ジャンキーとして,湖の国で汗を流していたことになる。
 
 幹雄を含め,戦前にフィンランドを訪れたアスリート達は,この国の人々から余程の感銘を受けたとみえ,「フィンランド随想」なる書物を著している。
 「スポーツと湖の国フィンランド」と題したエッセイにも,幹雄の熱気を帯びたサウナ・エピソードがあふれ,“サウナ・ジャンキー”としての面目躍如である。

1930年の或る日,ヘルシンキで共産主義者追放のデモンストレーションが行われた。この街頭行進に参加した農夫達が丁度我々が練習から引揚げ町の蒸風呂に入ってゐるところに,同じく昼間の汗を流しにやって来た。風呂から出てシャワーにかかってゐると,突然大きな声をあげてこの連中が我々に襲ひかかって来た。ミカド・ニッポンなどと叫びながら針のやうな鬚面を所きらはずすすりつけられるには参った。

眞裸で原始のままの抱擁から抜け出し這々の態で外に出た。(中略)彼らの頭の中に日本に対する感謝の念が強くこびりついてゐることは見落せない。

幹雄は,この短編のエッセイに “サウナ” の節を充てて,日本の読者にフィンランド・サウナについての蘊蓄を傾ける。

ヘルシンキを訪れる者が一度は覗いて見ねばならぬものにサウナ(蒸風呂)がある。

バケツ1杯の水と葉のついた白樺の小枝をもって中に入ると四・五段の板の段が出来てゐて,そこに腰かけて待つと隅の釜に入ってゐる灼熱の石に水を打つかけてくれる。

シュッといって温度が高くて眼に見えぬやうな蒸気が忽ち部屋に充満してその熱さは息苦しい位で,高いところにゐるようなものなら,たまらず飛び出したくなる。

最後にプールに飛び込んで一泳ぎして上がると全く蘇生の思がする。我々はこれを疲労回復の意味で度々出かけて行ったが,フィンランド人はこの中に長く頑張り體力を練るのである。

以上,角谷保次 編「フィンランド随想」

“全く蘇生の思がする” との貴重な体験を書き洩らさず,サウナで “ととのう” 境地を解説している。
幹雄が日本人初の “サウナ紀行家” であることに,もはや異論はないであろう。
 
異国の風物に対する関心が高い “紀行家” 幹雄のこと,欧州内をアムステルダムへと移動する道中で,4枚羽根の風車を目にしていたであろう。
干拓地の排水用にも利用されている風車は,風をあつめて水を治めるオランダの技である。

故国日本で農作業の動力として利用されてきたのは水車
幼年時代,兄の史郎と連れ立って眺めた,円形の水輪が回転する光景と重なったのかもしれない。
 
幹雄がオリンピック選手として,パリ(第8回),アムステルダム(第9回)の両大会の三段跳で,日本陸上史上初となる入賞(第6位),そして日本人初の金メダリストという殊勲を立てていた1920年代。史郎が広島電気の技術者として,発電所にフランシス水車を取り付けていた頃,干拓地ならぬ扇状地の富山県砺波平野で,鍛冶職人が,新たな形状の水車を考案した。
羽根がらせん状の形態をした “らせん水車” である。

この水車は富山県の扇状地に広がる農業用水の特徴を巧みに利用した水車で,簡便性と経済性に優れていたことから移動型動力源または定置動力源として全国的に普及した。

瀧本裕士「らせん水車を活用したマイクロ水力発電システムの可能性

北陸地方を中心に1万台以上が普及したともいわれる “らせん水車” も,1950年代には消滅したとみられている。
史郎による農山漁村電気導入事業が本格化した時期と重なる。
 
時代は移り,いま “らせん水車” に新たな光があたる。
農業用水などの既存の水路を活用した小水力発電用の水車として,農山村を中心に導入がはじまっている。
 
織田史郎が捨て身となって駆けのぼった螺旋階段。
その先に見えてきたのは,小水力発電の開発,導入に汗をかく地方創生の後継者たち。

織田兄弟の偉業は,時を経て受け継がれている。(終わり)


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