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断片集

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1,000文字前後の文章たち
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2022年7月の記事一覧

オリーとダンが日本へやって来る。その知らせに、静かに狂喜乱舞、

 オリーとダンが日本へやって来る。その知らせに、静かに狂喜乱舞、興奮した。実際に、部屋で小躍りをしてしまった。眠れなかった夜は何処かへ行った。狭い部屋の中で醜い生き物が肩と尻を揺らすその様は、監視カメラでもあったら異様な光景だっただろう。  それからというもの日に何度も何度もオリーとダンのSNSをチェックした。が、「日本へ行く」と投稿されてからそれっきり、彼等の投稿は何もなかった。だが、良くも悪くも私はその凪の間に気持ちを落ち着かせることができた。そして、私自身の希望の所在を

「ごめん、幸男君。行かなきゃ」布団から抜け出して景子は言った。

「ごめん、幸男君。行かなきゃ」  布団から抜け出して景子は言った。畳に落ちていた白いスリップを拾って身にまとうと、髪を後ろで束ねた。汗はすっかり引いている。景子は、ちゃぶ台の上にポーチを取り出し、ラジオに鏡を立てかけた。皮脂でテカった肌、汗で滲んだマスカラ、落ちた口紅。華奢な身体を蛍光灯の下に晒し、慣れた手つきで化粧を直し始めた。  ドンチン、ドンチン、ドドン、ドドン。  窓の外から、祭囃子のような音色が遠くに聞こえる。近頃、陽が落ちるとどこかから太鼓と尺八の音がかすかに届く

突然の泣き声が辺りを包んだ。あまりのけたたましい叫び声に相撲は中断され、

 突然の泣き声が辺りを包んだ。あまりのけたたましい叫び声に相撲は中断され、皆一様に声のする方を見た。小さな子供が泣いている。突っ立ったままの小さな足元は、片方が裸足であった。どうやら、片方の靴を川に落としてしまったらしい。流れる小さな赤い靴を、父親らしき人物が川の流れに沿って追いかける。なんとか追いついたはいいが、川端からは手が届かず、再び靴は流され、父親はまた走った。数十メートル先で、近くにいた見物人から長い枝を渡され、父親はなんとか靴を拾い上げた。顔をしわくちゃにして泣き

それから幸尾は毎日、河原へ出向いた。形のいい小石や木の枝を探したり、

 それから幸尾は毎日、河原へ出向いた。  形のいい小石や木の枝を探したり、石をできるだけ高く積んだり、岩についた苔やつららを眺めたり、そういった一人でできる限りの遊びをこなしながら、ちらちらと川面へ目を配った。川上から赤い花びらがひらひらと流れてくるかもしれないからだ。毎日ではないが、それは水流に乗ってやってくる。幸尾はそれを見逃すまいとした。  陽が傾きかけた頃、まずは一片、赤い花びらが流れてきた。先陣を切って勇ましく流れてくるそれを、幸尾は川べりからじっと見つめた。丸く大

小さなお姫さまアメリカへ

 アメリカへの入国審査ではおしっこをちびりそうだった。羽田でのチェックインから一連の手続きを全て前に並ぶ人の見よう見まねで通り抜けてきた彼女にとって、米国への入国審査は予想外の事態が発生してしまった。それまでは、チェックインから荷物検査、入国審査、搭乗ゲートでの航空券の提示、航空機内でのお手洗い、シートベルトをしめるタイミング、食事と飲み物の選択、税関へ提示する小さな紙、といったありとあらゆる流れを、全て周りの様子を見て対応してきたのだ。もちろん、この入国審査も前の人の行動を

いくらの権利

 座敷を二間あけはなした和室には、惣菜、寿司、ポテトサラダ、畳のいぐさ、アルコール、タバコの煙など、さまざまなにおいが人の体温であたためられ、蒸発し、まざり、よどみ、ほとんどの弔問客が帰った今でも、ずっと沈殿し残りつづけていた。  蛍光灯のしろいひかりの下、皿をかたづけるためすこしずつ残った料理がいっかしょにあつめられ、喪服のおんなたちがひと息つく時間。  寿司ネタはだいぶかたよったラインナップとなったが、いか、まぐろ、かっぱ巻き、いなり寿司が多くそろい、いくら、サーモン、青

孤独なキツネたち 2

 久しぶりのツーショットの投稿だ。実に数年ぶりかもしれない。  見つけた瞬間、全ての事を忘れて、写真に見入った。高鳴る鼓動、心地いい興奮と緊張が体を包む。さっきまでの息苦しさから解放され、頭の締め付けも解除された。やっと息が整う。  スマホの画面に映し出されたのは、オリーとダンのツーショットだ。  彼等は、何年経っても変わらない。いつまでも出会った頃のように、仲睦まじそうに写真に写っている。中東系の顔立ちをしたオリーは、自分たちの姿をカメラに写そうと左手を伸ばし笑顔を作ってこ

孤独なキツネたち

 白い花が燦々と降り注いだ夜、ニューヨークの街角にあるアパートの一室で、コーヒーを淹れるニット帽姿の女性がいた。部屋の棚の隅に、左手を挙げた猫の置物が置いてある。彼女の友人が大学卒業後に旅行した日本のお土産だ。  ピアレッティのエスプレッソメーカーを棚の奥から取り出し、東南アジアが原産のコーヒー豆を机の上に用意する。豆はコーヒーを淹れる度にミルで挽く。そうすると、豆が酸化せずに新鮮な香りを楽しめるんだ、とかつての友人が教えてくれた。このモカエキスプレスの使い方を教えてくれたの

ブランコがある公民館では

 ブランコがある公民館ではよく大人達が昼間から酒盛りをしていた。夏のある日、一人でブランコに乗っていると、おやつがあるから寄って行けと酔っ払いに誘われた。大勢の酔っ払いの中に身を置くのは親戚以外で初めてだった。私は、きちんと正座をして、ウーロン茶をもらって飲んだ。  大人達は、思い思いに宴会を楽しんでいた。普段は、畑仕事か工場で働いている人が多いため、物静かな集落である。それが、正月や節分、三九郎、花見や秋祭りといったハレにかこつけて月に一度は酒盛りをするのだ。音楽の授業で「

本当だったら今頃、

 本当だったら今頃、クラスメイトの家で遊んでいる予定だった。家へ帰ってきて、母親へそのことを告げると、車で送って行くね、とか、お菓子持って行く?と聞いてくれた。しかし、クラスメイトの家が隣村だと知ると、突然何も喋らなくなってしまった。彼女はそんな母親の態度の変化に何かを感じ取ったのだろう、クラスメイトの家へ自ら電話をすると、用事ができたから行けなくなったと伝えた。一緒にポテチを食べながら、今日発売のりぼんを読む予定だったのに。  ゲンがウンチをしたので、来た道を戻ろうとすると

通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができた

 通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができたので、周囲との差異による苦しみを半分忘れて生きて来た。見えないものは、自覚することを忘れてしまう。その事実を半分忘れながらも、ふとした瞬間に問題は露呈し、大体の事は諦めて生きてきた。体育のプールも、学年スキー合宿も、キャンプも修学旅行も、参加したことがない。「成長したら」とかすかな望みを持っていたが、何年経っても改善される事はなく、時間だけが過ぎ、人に好かれることも、選ぶことも選ばれることも諦め、万一奇跡的に誰かが現れたとして

こんな事もあった。村のお祭りの日、

 こんな事もあった。村のお祭りの日、「親友」とお神輿の後をついて神社へ向かっていた時、どちらからともなく追いかけっこが始まった。追いかけてタッチしては、鬼が交代する。二人だけの追いかけっこだ。  ちょうど私が鬼の番になった時、友達は近所のおじさんの足元に逃げ込んだ。きゃあきゃあ言いながら、私も追いかけて行った。楽しさは絶頂だった。が、おじさんは何を勘違いしたのか、「親友」を守るようにして、私にゲンコツを与えた。醜い子供が、かわいい子供をいじめていると思ったのだろうか。私は、何

私は、醜い子供だった。

 私は、醜い子供だった。そのため大人に好かれる事はなかった。  シルバニアファミリー一式を持っている同級生と小学校六年間、毎朝登校していたが、今になって思うと、その子の母親からも嫌われていたと思う。もちろん、醜かったからだ。  ある朝、私はマスクをして登校した。理由は顔を隠したかったから。玄関まで娘を見送りに来た同級生の母親は、私のマスクに気がついて、こちらを見下ろしたまま「風邪?」と聞いた。黙ったまま首を横に振ると、「そう」とだけ吐き捨てたように言った。目は笑っておらず、蔑