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通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができた

 通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができたので、周囲との差異による苦しみを半分忘れて生きて来た。見えないものは、自覚することを忘れてしまう。その事実を半分忘れながらも、ふとした瞬間に問題は露呈し、大体の事は諦めて生きてきた。体育のプールも、学年スキー合宿も、キャンプも修学旅行も、参加したことがない。「成長したら」とかすかな望みを持っていたが、何年経っても改善される事はなく、時間だけが過ぎ、人に好かれることも、選ぶことも選ばれることも諦め、万一奇跡的に誰かが現れたとしても、それは仮初めの姿に対してであり、生活を共にすることはできない。何度、鏡を見ながら声を出さずに泣いただろう。親にも言えずに一日中部屋から出られない日もあった。
 誰かに相談することもできたかもしれない。が、その問題を口にすれば、その瞬間にそれは現実となってしまう。思い込みに過ぎない、そう思いたかった事実が、やはり周知の事実だったと現実を突きつけられるのが怖かったのかもしれない。
 周りの大人は皆、厄介なことに関わりたくないため、静観するのみだった。関わった時点で責任が生じる。誰も責任を持てるような問題ではなかったし、しょうがない。醜い人間には、誰も手を差し伸べなかった。誰の人生にも重要な役割を担う存在ではなかったのだ。勝手に生きて、迷惑だけはかけないようにしてくれよ、その程度だった。なぜこんな風に生まれてきたのだろう。持って生まれた個性、そんな言葉で納得できるものでは到底なかった。普通になりたかった。
 大人は大抵、そういった子供をぞんざいに扱った。美しい友達のように丁寧に大事に扱われる子供もいれば、ぞんざいに扱われる子供もいる。もちろん、その違いは見た目の差異に大きく起因する。
 私が住んでいた集落の公民館には、ブランコがあった。近所で唯一の遊具だった。小学生の時はそのブランコが好きでよく遊びに行っていた。友達や弟と行くこともあったし、飼い犬ゲンの散歩の時に一人で寄ることもあった。弟はブランコを限界まで漕いで楽しんでいたが、私は思い切り漕ぐことはできなかった。いつか限界まで漕いでみたいと思っていたが、それでもブランコに揺られるだけで満足だった。

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