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ブランコがある公民館では

 ブランコがある公民館ではよく大人達が昼間から酒盛りをしていた。夏のある日、一人でブランコに乗っていると、おやつがあるから寄って行けと酔っ払いに誘われた。大勢の酔っ払いの中に身を置くのは親戚以外で初めてだった。私は、きちんと正座をして、ウーロン茶をもらって飲んだ。
 大人達は、思い思いに宴会を楽しんでいた。普段は、畑仕事か工場で働いている人が多いため、物静かな集落である。それが、正月や節分、三九郎、花見や秋祭りといったハレにかこつけて月に一度は酒盛りをするのだ。音楽の授業で「おらは死んじまっただ〜、酒を飲み続け〜」と高い音声で歌う曲を聴いた時は、なぜか村の大人達の光景が目に浮かんだ。
 酔っ払い達は大声で何事かを喋っている。自民党がどうだ、大蔵省がどうだ、と誰かが話し出せば、うちの大蔵省は厳しいぜ、と誰かが言って笑う。それを別卓で飲んでいる彼の大蔵省にチクると、やーだー。お父さんそんな事言って、と返ってきて更に皆笑っていた。

 そうやって、ウーロン茶を啜りながら、静かに大人達の会話を聞いていた。お菓子も少しつまんだ。しかし、銀紙に包まれたキャンディと思ったら、乾いた肉の塊のようなものを口に入れてしまい、甘いものが口の中にやってくると思っていた脳は、しょっぱいものが放り込まれたせいで、異物と察知したらしく吐き出しそうになった。必死で飲み込むか吐き出すか迷った末に、飲み込んだ。
 何事もなかったかのように、正座を崩さず、背筋は伸ばしたまま、両手で包んだコップからウーロン茶を一口飲んだその時だった。突然、背後に柔らかくザラザラした感触を感じた。
 最初は誰かの手のひらで頭を撫でられていると思った。しかし、違った。口内にまだ少し残っている肉の塊の件もあり、一瞬何が起こったのかわからなかったが、どうやら酔っ払いが後ろから私の頭を両手で固定し、立ったまま腰を左右に振って、彼の股間を私の後頭部に擦り付けているようだった。ジャージ生地のザリザリとした感触が頭に伝わった。お母さんにかわいく結ってもらったお下げの分け目がボサボサになっていくのが分かった。その酔っ払いは、同級生の男の子の父親だった。子供会か何かの集まりで見かけたことのある、天パで眼鏡の男だった。
 私は、気付いていない振りをして、ウーロン茶の入ったコップを両手で包んだまま、すまし顏で微笑んでいた。外野から別の酔っ払いが笑いながら「やめろよー」と制してくれたので、股間の酔っ払いも「えへへー」と笑いながらフラフラとどこかへ行った。
 あれは一体何だったんだろう。特別何の感情も沸かなかった。今思い出しても、特に何の感情もない。本当は、怒るべきなのかもしれないが、よくわからない。あの天パの眼鏡は、今ではもう死んでいるが、馬鹿で阿呆だったんだと思うだけだ。なんとなく、今でもジャージの感触が頭皮に残っているようで、私は後頭部を触られるのが苦手だ。
 中学に入った頃、母から「あの家の親父が死んだ」と聞いた時、へぇ、と思った。天パで眼鏡で物静かな印象で、近所で見かけることもなければ、畑仕事をしていたような、していなかったような、おそらく視界に入ったのは生涯で十分間にも満たなかっただろう。その内の一分程度がこの宴会だった。この天パで眼鏡の男のことは、そんな風にしか記憶にない。

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