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断片集

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東京に出てきて十年近く経とうとしていた頃、田舎から

 東京に出てきて十年近く経とうとしていた頃、田舎から一通の電報が届いた。その時、丁度私は金属部品の研磨をしかける所だった。金の卵として田舎を出た後、私は金属加工の工場で働いていた。十年間、毎日ねじを作りながら、ねじのように働くのは大変素晴らしかった。私は、ねじになりたかった。円柱の金属部品に螺旋状の溝をつける作業をしながら、いつも私はねじと一緒に溶けて同化していくような心地いい気分になった。ねじに、なりたかった。私はねじになりたかった。何も考えず、何も苦しまず、何も辛くない。

残された子供達は、彼等だけで生きていくほかなかった。

 残された子供達は、彼等だけで生きていくほかなかった。  母親が出て行ったのは、末弟の幸尾のせいなのだ、そうやって兄と姉は罵った。鈍臭く馬鹿で異端な小さい弟が捨てられただけで、我々が捨てられたのではない。責任はお前だけにある。そう口に出す事で、絶望へ堕ちるのを必死に止めた。悲劇に意味を与えなければ、受け止める事などできなかった。兄と姉の弟への仕打ち。それは、仕方のない事なのだろうか。悲劇を背負えば、何をしても許されるのか?それは誰も教えてくれなかった。幸尾は常に尻に痛みを感じ

封筒と麻袋に入った米を受け取ると、幸尾は胸の前でギュッと抱いた。それから幸尾は、

 封筒と麻袋に入った米を受け取ると、幸尾は胸の前でギュッと抱いた。それから幸尾は、その場でクルクル回った。お礼の言葉を知らなかったのだ。しかめ面だった女将はやっと少し笑って 「いいから、早くおかえり」  と、追い払うような手の仕草をつけて言った。  幸尾はゆっくりと歩き出す。米の存在、その重みを感じながら、ゆっくりと動き出す。陽が傾きかけていた。西の山へ隠れつつある太陽は、来た時とは違う日差しを田んぼへ注ぎ、田園風景を更に濃い黄金色に変えていった。チャパチャパと金の粉が舞い立

犬が腰振るような月夜の日、幸尾は珍しく夜中に目が覚めた。窓から差し込む月の

 犬が腰振るような月夜の日、幸尾は珍しく夜中に目が覚めた。窓から差し込む月の光が明るかったからかもしれない。白く射すような光線が一直線に強く、納屋に向かって差し込んでいた。なぜかいつもより暖かく、しんと静かな夜だった。幸尾はむくりと体を起こすと、窓から外をのぞいた。すると、そこには一面の真っ白な世界が広がっていた。新雪に反射した月明かりがキラキラと夜を照らしていた。尋常ではない明るさだ。こんなに明るいというのに、父も母も、兄も姉もぐっすり眠っている。幸尾は、月明かりと雪景色に

雪を含んだ風が、山から冷たく吹き付ける。足元にはうっすらと絹のような雪が積もり始めていた。

 雪を含んだ風が、山から強く吹き付け、足元にはうっすらと絹のような雪が積もり始めていた。幸尾の足先は寒風にさらされ冷たさで傷んだ。野良犬が一匹、木の幹に向かって腰を振っていた。 「わかる、僕わかるで」  父親が何を言いたかったのか、幸尾はよくわからなかったが、元気良くそう答えた。 「よしゃ、幸ちゃんはええ子だなあ。さっすがおらの子だあ」  父はすっとんきょんな声を出して言った。ビュッと風が一段と強く吹きつけた。幸尾は父の首元に深く顔をうずめた。首にかけられた父の手ぬぐいが鼻に

「ごめん、幸男君。行かなきゃ」布団から抜け出して景子は言った。

「ごめん、幸男君。行かなきゃ」  布団から抜け出して景子は言った。畳に落ちていた白いスリップを拾って身にまとうと、髪を後ろで束ねた。汗はすっかり引いている。景子は、ちゃぶ台の上にポーチを取り出し、ラジオに鏡を立てかけた。皮脂でテカった肌、汗で滲んだマスカラ、落ちた口紅。華奢な身体を蛍光灯の下に晒し、慣れた手つきで化粧を直し始めた。  ドンチン、ドンチン、ドドン、ドドン。  窓の外から、祭囃子のような音色が遠くに聞こえる。近頃、陽が落ちるとどこかから太鼓と尺八の音がかすかに届く

突然の泣き声が辺りを包んだ。あまりのけたたましい叫び声に相撲は中断され、

 突然の泣き声が辺りを包んだ。あまりのけたたましい叫び声に相撲は中断され、皆一様に声のする方を見た。小さな子供が泣いている。突っ立ったままの小さな足元は、片方が裸足であった。どうやら、片方の靴を川に落としてしまったらしい。流れる小さな赤い靴を、父親らしき人物が川の流れに沿って追いかける。なんとか追いついたはいいが、川端からは手が届かず、再び靴は流され、父親はまた走った。数十メートル先で、近くにいた見物人から長い枝を渡され、父親はなんとか靴を拾い上げた。顔をしわくちゃにして泣き

それから幸尾は毎日、河原へ出向いた。形のいい小石や木の枝を探したり、

 それから幸尾は毎日、河原へ出向いた。  形のいい小石や木の枝を探したり、石をできるだけ高く積んだり、岩についた苔やつららを眺めたり、そういった一人でできる限りの遊びをこなしながら、ちらちらと川面へ目を配った。川上から赤い花びらがひらひらと流れてくるかもしれないからだ。毎日ではないが、それは水流に乗ってやってくる。幸尾はそれを見逃すまいとした。  陽が傾きかけた頃、まずは一片、赤い花びらが流れてきた。先陣を切って勇ましく流れてくるそれを、幸尾は川べりからじっと見つめた。丸く大

ブランコがある公民館では

 ブランコがある公民館ではよく大人達が昼間から酒盛りをしていた。夏のある日、一人でブランコに乗っていると、おやつがあるから寄って行けと酔っ払いに誘われた。大勢の酔っ払いの中に身を置くのは親戚以外で初めてだった。私は、きちんと正座をして、ウーロン茶をもらって飲んだ。  大人達は、思い思いに宴会を楽しんでいた。普段は、畑仕事か工場で働いている人が多いため、物静かな集落である。それが、正月や節分、三九郎、花見や秋祭りといったハレにかこつけて月に一度は酒盛りをするのだ。音楽の授業で「

本当だったら今頃、

 本当だったら今頃、クラスメイトの家で遊んでいる予定だった。家へ帰ってきて、母親へそのことを告げると、車で送って行くね、とか、お菓子持って行く?と聞いてくれた。しかし、クラスメイトの家が隣村だと知ると、突然何も喋らなくなってしまった。彼女はそんな母親の態度の変化に何かを感じ取ったのだろう、クラスメイトの家へ自ら電話をすると、用事ができたから行けなくなったと伝えた。一緒にポテチを食べながら、今日発売のりぼんを読む予定だったのに。  ゲンがウンチをしたので、来た道を戻ろうとすると

ゲンの散歩は私の日課で、ほとんど毎日連れて行った。

 ゲンの散歩は私の日課で、ほとんど毎日連れて行った。たまにサボりたい時もあったが、学校から帰るとすぐに気付かれて、庭から延々と続くゲンの散歩コールに根負けして連れていく。おやつを食べながら窓から覗いたら最後、「オ・ヤ・ツ、オレにも、くれ!」と言わんばかりに更に激しく吠えられる。リードを持って出ると、ゲンは狂喜乱舞して暴れ出し、なかなか首輪にリードを付けることができない程だった。そしていざ鎖を外すと、そのまま数百メートルの疾走が始まる。左には家の砂壁(ザラザラとして腕を擦ったら

通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができた

 通常は、己の醜さをなんとか誤魔化せることができたので、周囲との差異による苦しみを半分忘れて生きて来た。見えないものは、自覚することを忘れてしまう。その事実を半分忘れながらも、ふとした瞬間に問題は露呈し、大体の事は諦めて生きてきた。体育のプールも、学年スキー合宿も、キャンプも修学旅行も、参加したことがない。「成長したら」とかすかな望みを持っていたが、何年経っても改善される事はなく、時間だけが過ぎ、人に好かれることも、選ぶことも選ばれることも諦め、万一奇跡的に誰かが現れたとして

こんな事もあった。村のお祭りの日、

 こんな事もあった。村のお祭りの日、「親友」とお神輿の後をついて神社へ向かっていた時、どちらからともなく追いかけっこが始まった。追いかけてタッチしては、鬼が交代する。二人だけの追いかけっこだ。  ちょうど私が鬼の番になった時、友達は近所のおじさんの足元に逃げ込んだ。きゃあきゃあ言いながら、私も追いかけて行った。楽しさは絶頂だった。が、おじさんは何を勘違いしたのか、「親友」を守るようにして、私にゲンコツを与えた。醜い子供が、かわいい子供をいじめていると思ったのだろうか。私は、何

私は、醜い子供だった。

 私は、醜い子供だった。そのため大人に好かれる事はなかった。  シルバニアファミリー一式を持っている同級生と小学校六年間、毎朝登校していたが、今になって思うと、その子の母親からも嫌われていたと思う。もちろん、醜かったからだ。  ある朝、私はマスクをして登校した。理由は顔を隠したかったから。玄関まで娘を見送りに来た同級生の母親は、私のマスクに気がついて、こちらを見下ろしたまま「風邪?」と聞いた。黙ったまま首を横に振ると、「そう」とだけ吐き捨てたように言った。目は笑っておらず、蔑