こんな事もあった。村のお祭りの日、

 こんな事もあった。村のお祭りの日、「親友」とお神輿の後をついて神社へ向かっていた時、どちらからともなく追いかけっこが始まった。追いかけてタッチしては、鬼が交代する。二人だけの追いかけっこだ。
 ちょうど私が鬼の番になった時、友達は近所のおじさんの足元に逃げ込んだ。きゃあきゃあ言いながら、私も追いかけて行った。楽しさは絶頂だった。が、おじさんは何を勘違いしたのか、「親友」を守るようにして、私にゲンコツを与えた。醜い子供が、かわいい子供をいじめていると思ったのだろうか。私は、何が起こったのか戸惑い、訳も分からず泣いた。しかし、祭りのお囃子の音で泣き声は掻き消され、私はそのまま一人で家に帰った。母親からもらった五百円玉を使うことなく、せっかく新しくおろしたポシェットも使うことなく。
 大人が向ける視線は、冷たかったり、嘲笑混じりのものだったり、同情や憐憫が入り混じったものだった。そういう視線は成長してからも、何度も浴びせられた。もしくは、まったくの無視だった。最初から存在しないことにすれば、蔑視という醜い感情を己のうちに発見しなくて済むのだろう。
 中学の時に自転車で県道を走っていた時にも、道行く車の中からそういった視線を受けた。物珍しいモノを見たかのように目を丸くしたまま通り過ぎるか、訝しがって眉をひそめる。もしくは、一瞬こちらを見て、サッと目を逸らす。直視してはいけない、見たらどのような反応をしていいかわからないといった、遠慮と気遣い、はたまた保身が感じられる大人もいた。
 視線に関する一番強い記憶は、中学の頃、山奥の友達の家へ遊びに行った時だった。数人でお邪魔し、リビングで少女漫画を読みながらお喋りをしていた時、友達の父親が帰ってきた。日曜だったのだ。フレンドリーな人で、全員の名前を聞きながら一人ずつ二言三言言葉を交わした。「娘と仲良くしてくれてありがとう」とか、「娘と部活一緒だよね、よく話を聞いているよ」とか、「お父さんには組合でお世話になっているよ」などである。
 私も自分の名前を名乗り、初めまして、とよそ行きの笑顔で対応した。が、今でもよく覚えている。友達の父親は今にも笑い出しそうな笑顔のまま、全く目線を合わせず、別の箇所をじっと眺めながら、初めまして、と言った。初めまして、娘と仲良くしてくれてありがとうね。笑顔のまま、目線だけが合わない。
 数センチ目線を外しても気づかれないと思ったのだろうか、笑ったまま明らかにどこかを観察しているようであって、居心地の悪い気分になった。その目線によって、私は一気に己が背負わされている問題を思い出し、現実に引き戻されて心がぎゅっとした。しかし、今までもそういった目線の不整合は幾度か経験してきたため、なんとか気持ちに蓋をして誤魔化して笑顔は崩さずに対応した。こちらが耐えて待てば、過ぎていく時間なのだ。
 何度も同じような視線を経験した中で、それでも、この時の瞳が忘れられない理由としては、ペコちゃんのような表情の大人を初めて見たからかもしれない。目線がいつまでも合わない間抜けな顏だった。

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