見出し画像

夏だから。

今日は地元のお祭りに行ってきた。去年まではコロナの影響もあって開催しない地域も多かったけど、だんだんコロナにも慣れが来て今年はたくさんの地域で開催しているところが多いみたいだ。

お祭り前日の夜、なんだかすごくワクワクした。去年までの行動が縛られていた数年を思い出すとやっと何かが動き出したような気がして、幼いころ旅行に行く道中の車内のドキドキみたいな懐かしい感覚に襲われた。

今日はあいにくの雨予報でせっかくの浴衣はやめになってしまったけど、それでも私はすごく楽しみだった。大体雨の日のお出かけは気持ちが沈んで、早く家に帰って本読みたいって思っちゃうんだけど、今日だけはそうならずわくわくが止まらなかった。

お祭り会場についてみると、やっぱりまだ完全体とはならないせいか会場は縮小して屋台も制限され、例年とは比べ物にならないくらい小規模だ。
来場者もあまり多いとは言えない様子で、もちろん花火もやっていない。
そんな状態だけど開催している会場を見るだけで胸が鳴る。大きな祭囃子が聞こえてくると、このご時世に負けじとお祭りを開催しようとする人々の気合と前向きな気持ちになんだか感動した。


祭囃子を聞いているうちに、いつかのお祭りを思い出した。
今では考えられないほど道いっぱいに押し詰められた人々、まぶしいほどきらきら光る屋台。その中をかき分けて一生懸命、決してはぐれないように先輩の浴衣の袖をつかんだ
少し開けたところに出て、先輩と二人で見た花火。正直花火はたいして見ていなかった、先輩の見事な横顔の造りに釘付けだったからだ。その日だけは私がはぐれないようずっと手をつないでくれた。決して届くはずのないその手が触れたその瞬間、お祭りや花火なんてどうでもよかった。ただこの時間が一生続けばいいと思った。だけど、お囃子の色んな和楽器の音、花火の振動が体にこだまする、じめじめとした夏の暑さ、この瞬間だからこそ私の脳裏に強く焼き付き、決して忘れることのないきらきらとした記憶として残るのだと無知で幼かった私はまだ知らない。
夏だからってだけで特別な時間になる。
いつかまたこの閉塞感から抜け出して、夏によってもたらされる抗いようのない特別な感情、特別な時間を過ごせるだろうか

なんて考えながら広島風お好み焼きを一生懸命食べた


この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?