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数学ガールと無知の知

数学ガールという小説をご存知でしょうか?

数学ガールとは、数学が趣味の高校2年生「僕」と同じく数学を趣味とするクラスメイトのミルカ、そして数学に興味を持つ後輩のテトラ、「僕」の従妹の中学生ユーリの4人が高校数学の延長から過去の超難問まで様々な問題を解きながら数学の世界を旅していくお話です。
参考:wiki

数学という難しい内容を題材にしながら、小説という形で楽しめるようにしている一風変わった本です。フェルマーの最終定理など、難しいことを比較的わかりやすく理解できるので、とても良い本です。

しかし一方で、理解できない部分というのは必ず出てきます。
それは読者の自分もそうですし、登場人物の高校生たちも同じです。

ただ、この「わからなかった時」の対応がとても良いのです。

「だって、ユーリは馬鹿だから、わからないこと多いんだもん」
「ユーリは馬鹿じゃないよ。わからないことを≪わからない≫というのは正しいことだ。馬鹿なのは、わかっていないのに≪わかったふり≫をする人のほうだよ」
数学ガール フェルマーの最終定理P.21 より

「わからないこと・疑問に思ったことを言う」のが受け入れられる場ができています。これは、何かを学ぶときに最も大事で、かつ最も難しいことだと思います。

ソクラテスの言った「無知の知」もこれにあたります。「わかったふり」というのが良くないんですね。

自分が理解していないということは不安なことです。周りがみんなわかっていて、自分だけがわからないとなると、もっと不安です。数学を題材に扱うということは何度もそういった壁にぶつかります。そんな時に、この本では高校生たちが「わからないということ」をはっきりと言ってくれるのです。

そして、もう一つ他の本には書いていない珍しい言葉として、本の最初で難しいところは読み飛ばすことが推奨されています。これも、何かを学ぶときに重要で、かつ忘れがちなことです。

人は一回で理解しようとしがちですが、そうじゃなくて良いのです。二回読めば、わからなかったところも新しい発見があるかもしれません。さらに、挫折を味わう必要がないので、好きなまま読み続けられます。

・わからないことをはっきりする
・それでもわからないところは飛ばす
の2つは、勉強において大事なことです。わからないことを大切にするからこその学びを得られるのだと思います。

年齢を重ねるごとに、理解できないことへの抵抗は増えていきますが、わからないことを恐れず、初心を忘れないでいたいなと思う所存です。

参考:数学ガール

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