【2023/12/23】
夜明け前あたりに、ずいぶんと輪郭のはっきりした夢を見た。枕元のiPhoneを手繰り寄せてみると、午前4時過ぎだった。
夢は、わたしがとある読書会に参加するという内容で、覚えているそのはじまりは山手線の線路を眼下に見渡せる跨線橋に、わたし自身が立っているところから。季節はいつだろう。寒くもなく暑すぎない日中である。傍らにはこちらに顔を向けて熱心に説明してくれるおじさんがいる。もちろん、何を言っているのかは不明だが、わたしに丁寧に話しかけてくれている。
どうやらわたしは、村上春樹『ノルウェイの森』で主人公のワタナベくんが直子と偶然再会してそのまま散歩したコースを、読書会参加者と一緒に歩いていて、その途中にいるらしい。
その状況自体は所与のものとして事前に理解している。しかしいま自分が立っている地点がいったいどこなのかはまったく解らない。ただ山手線が見下ろせる橋の上だ。ちなみに、わたしはその〈散歩コース〉を現実世界で歩いたことはない。
彼らの行程は約9kmとも言われているようだ。
やがて、おじさんの長い説明が終わると一同は移動をはじめて、そしてとある喫茶店(らしきところ)にたどり着く。
店には入り口らしきものはないが、いつの間にか店の中にいるという感覚を抱く。オープンカフェとでもいうのか。ここも少し高台にあって、店の向こう側には住宅街が広がっている。
わたし以外の人たちはみんな事情を解っているようで、おのおの勝手に席につく。わたしだけひとり取り残されて、なんとなく気まずい思いをしていたのだが、誰かが「こちらへどうぞ」という感じでテーブルの椅子を引いてくれる。わたしはその厚意に素直に従い丸い椅子へと腰掛ける。
夢はそこで唐突に終わる。
わたしは躊躇いなく目覚めたのだが、何とも奇妙な気持ちでベッドの上にいた。おそらくは夢の中で置き去りにされた体のわたしも、同じような戸惑いを感じているんじゃないだろうか。
わたしはよろよろとベッドを抜け出してトイレに入り、トイレットペーパーホルダ脇に置いてある、沢木耕太郎『夢ノ町本通り』(新潮社)を広げた。沢木の最新刊で、本に関するエッセイがたっぷりと詰まった一冊だ。しばらく前からトイレに持ち込んでいて、少しずつ読み進んでいた。
この本を読んでいることがさきほどの夢を見させたのかと、まさかとも思ったりしたが、そんな都合の良いものでもあるまい。
わたし自身は引っ越す前の土地で、数年前に約9年間、小さな読書会を開いていたことがあった。やがてコロナ禍があり、ほぼ同時に公私ともに忙しくなってきたのでついに店仕舞いしたという経緯を持っているが、沢木耕太郎のエッセイを読んだことで、読書会の記憶が夢というかたちであらわれたんだろうか。そんな都合の良いものでもあるまい。
トイレから出てリビングに行きしばらく夢の余韻に浸りつつ、沢木耕太郎『深夜特急』を読んでみようかという思いつきが、ふとアタマに浮かんだ。
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