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【エッセイ】私の現在地

私は流されている。
自分の意志と関係なしに言葉を吐いて、動いてる。
けど、そうやって流されていると分かりながらもそうしようと決めたのは無意識かもしれなくても私だ。
傍から見れば、第三者から見れば、その人が言ったこと、やったことがすべてだ。
人間はそう捉える。
自分の言動に責任を持てと言われるのはそういうことだ。
私はこの歳でようやく気づいた。

優しさという無意識の暴力、言葉の刃、心配という名の圧。
言葉は怖い。
捉え方次第では薬にも毒にもなり、取り返しのつかない事態を招くこともある。

その時には原因に気づかない。気づけない。
気づく機会すら与えられない。
だから私は傷つけ続けていたのだろう。
無自覚に、無意識に。


私のことを傷つけるかもしれない。
そう思いながらも、強くきつい言葉をかけてくれる人。
私はその人を優しいと思う。
言葉の本質に気づいたらの場合だけど。
何も気づけなかったら、きっと私は「この人とは分かり合えない」と簡単に切り捨てていただろう。

強くきつくなりながらも伝えてくれる人は、私のことをまだ見ていてくれている人なんだと勝手に解釈してる。
私のことを本当にどうでもいいと思ったら、何も言わずに立ち去り姿を消すと思うから。
私も、そうしてきたから。
なんて、人と自分をすぐに重ねてしまうのは私の悪い癖だ。


私は今まで何をしてきたのだろう。
何を見てきたのだろう。
まだ何も知らないのではないか。

私は今どこにいる。
立ち止まった瞬間に分からなくなる。

進まなきゃ。置いていかれる。
そう思って必死に歩き続け、走り続けていたけど、そもそもの進む道が間違っていたのかもしれない。

けどもう、ここまで来てしまった。
私はどこまで引き返せばいいのか分からない。


私は今どこにいる。
私は何をすればいい。
何も分からぬまま。

すべて捨てたいと思う時がある。
何もかも諦めてしまいたいと思う時がある。


だけどそれ以上に私は思ってしまうのだ。



それでもまだ、生きていたい。


許さなくていい。
誰にも許されなくていいから。


私はここで。

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