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なぜ創価大学へ入学したのか

創価大学卒業生は大学院進学しない限り、最終学歴が「創価大学卒」になるんですよね。まあ履歴書には中学卒業から書かされるんで、あまり最終学歴云々気にする事はないのですが。

高校生時代は学歴に無頓着でしたが、現在人事の仕事で「創価大学卒」とか小学校から大学まで創価一貫教育の文字が占めてると、確かにインパクトは感じますね。


この記事では私の中学生時代まで記しました。概要は、「仏法や書籍は素晴らしいのに、現実の学会や学会員はどうしてこんなに酷いのだろう」というものです。

この記事の一部では、教義や書籍と現実との乖離を埋めてくれた、高校大学時代の座談会の模様を描きました。


高校生の時下宿をしており、その地区の方々によって私の学会嫌いはかなり薄れてきました。

しかし時より父から送られてくる、創価大学の願書には目もくれませんでした。

なぜなら、私が通ってる高校のレベルからすると創価大学はレベルが低すぎたからです(今はレベルが上がってますが)。

また、創価大学への偏見もありました。

いくら創立者・池田大作が素晴らしくても、教職員や学生はそうではないだろう、と。


ただ、滑り止めとして私立を選ぶ際に、創価大学以外では親の理解は得られないだろうなと1人で思い込んでいました。奨学金まで借りて下宿している身分ですから、少しの妥協も必要かと。それに、センター利用で容易に合格できそうなのも魅力でした。

また、当時の進路希望調査において、消去法で教員を希望している自分にとって創価大学は都合のいい存在でした。

なぜなら、私立の教育学部では創価大学はかなりレベルも実績もいい方だからです。

そう多くはない学生の中から20年以上連続で教員を排出しているのは魅力でした(通信教育学部生や他学部込にしても)。


ただ、第1志望は地元の国公立でした。

そして迎えたセンター試験当日。大きなアクシデントがありながらも、自己ベストを大きく超える点数を叩き出せました。これは素直に功徳だと思いました。唱題や座談会参加、大白蓮華読了を続けたおかげでメンタルを一定に保て、友人関係も良好だったからです。


ただひとつ問題がありました。

点数が良すぎて第1志望だった地元の国公立だと物足りなくなってしまったのです。

2次試験を頑張れば旧帝大もいけるところまできてしまいました。2ヶ月しかセンター試験の勉強してないのにこういうことになるなんて、逆に焦りました。

友人誘って進路指導室の赤本を漁りまくり、どの大学が良いか調べまくりました。でもやりたいことが定まってない自分にとって、どこがいいか、何を判断基準とすればいいか、調べれば調べるほど分からなくなりました。


そんな時、たまたま大学に進学していた野球部の先輩が進路指導室に来られました。聞くと創価大学に進学してるものの、仮面浪人で再度受験し直したらしいです。

大学選びに悩んでいた私はストレートにその方に「創価大学ってどんな感じですか?」と、非学会員の友人がいるにもかかわらず聞きました。

先輩は「友人いるけどいいの?」と前置きをしながら「うちの校風と似てるよ」と答えてくれました。

このことは私にとって非常に大きな魅力でした。

私の高校は、自由な校風と自主自立の精神、文武両道で知られ、文化祭の人気度は県内ダントツナンバーワンでした。野球部を引退してからの私は、その校風にどっぷりと浸り、人生で最も幸せな時間を送っていました。

先輩の話を聞き、私の大学選びの主眼が校風や環境にあることを自覚しました。

そしてこの瞬間、国公立受験のモチベが全くと言っていいほどなくなりました。なぜなら、国公立ってどこも一緒な感じがしたからです。

今思うと稚拙な判断だったかもしれませんが、18歳で進路についてよく考えていない人はこんなもんじゃないでしょうか。


国公立は受験し、前期は合格間違いなしの旧帝大よりワンランク落とした大学で不合格。後期は教育大学をトップで合格しましたが、校舎がボロかったのと、東京に位置してないので蹴りました。


こうして創価大学へ進学を決めた私でしたが、友人にはほとんど進学先を伝えませんでした。それは後ろめたさが半分、既に卒業式を終えていてわざわざ連絡するのもどうかと思ったのが半分。


創価大学に進学する人は、付属校からの内部進学や、創価が好きな人、または親に行かされた人以外にも、こんな人がいるっていうのを知ってもらえればなあと思います。