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時間の相対性について

最近更新が滞っているのでとりあえず書き始める。

科学や哲学では、1次元->2次元->3次元->4次元というふうに次元を数えるが、私にはどうも3次元->4次元のジャンプが他のジャンプに比べて距離が大きいように感じる。3次元->4次元のジャンプが私の認知機構にとって相対的に大きな意味を持っていると言い換えても良いだろう。

一般的には1次元は点であり、2次元は線であり、3次元は空間であり、4次元は時間である。そして、n+1次元はn次元を含んでいる。だから帰納的に考えると4次元というのは1~3次元全てを含んでいる。つまり、時間というのは空間がないと存在し得ない。空間がない時間というのを想像しようと思っても、なかなか想像できないだろう。私たちが時間というのを想像するときはいつも、変化し続ける空間のイメージを頭に思い浮かべる。

では、4次元にはあって、3次元にはないような、その差分はなんだろうか。それは私には力学的エネルギーの現象化であるように思う。3次元の世界は、デカルト座標の世界である。それは、(x, y, z)という座標点に存在する原子・分子の集合といった情報で記述できる。しかし、3次元ではエネルギーやエネルギーの現象化は記述できないだろう。3次元空間の情報があって、どうやってそこから、どのベクトルにどのくらいの大きさのエネルギーを持っていると言えるだろうか。もっとわかりやすく言い換えると、3次元空間の情報から、お風呂が40度に沸いている、と言えるだろうか。もし、お湯が100度に沸いているのならわかるかもしれない。なぜなら100度になると沸騰し、3次元空間の情報からパターン認識できるからだ。しかし、そのパターン認識は私たちが4次元を生きてきた経験に依存している。

確実に原子や分子や、その集合としての物体はエネルギーを持っている。私たちがそれを認知できるのは4次元の世界に生きているからだ。4次元とは3次元空間においてエネルギーが現象化するということではないだろうか。エネルギーは潜在的に物質の座標点の情報を変化させる可能性を持っている。その潜在的な可能性が現実になるのが4次元の世界である。

こういうことをいうと、多くの近代人は違和感を抱く。それは、近代教育で、時間は絶対的な数値だと教え込まれているからだろう。私たちは小学校の教室にある時計や家のリビングにある時計が絶対的な、世界で一意に決まる"時間"を表すと教えられる。しかし、それらの膨大な時計は互いに少しずつずれている。0.1秒以下かもしれないが、確かにずれている。近代教育を受けてきた人間は、「きっと絶対的な時計がどこかにあって、それを参照してズレを修正できるから、時間は絶対的に一意にきまるんだ!」というかもしれない。しかし、その絶対的な時計とされているグリニッジ天文台にある時計だってズレるかもしれない、というか、壊れるかもしれない。グリニッジ天文台が放火されて焼けたら、どの時計を絶対的な指標として採用するのだろうか。その時計が絶対的な指標になったところで、本当にみんなはそれを信じるのだろうか。こういうことをいうと近代教育を受けた人は、絶対的な時間は太陽と地球の位置関係で決まるんだ!というかもしれないが、よくよく考えてみるとこれも先ほどと同じ論理の流れを辿ることがわかるだろう。

結論として、時間というのは何も絶対的な意味をもたない。つまり、10時45分23秒は、本当の意味での時間ではない。時間というのは、3次元空間内でエネルギーが現象化することである。もっというと、エネルギーが現象化するということは、3次元空間内の原子や分子や物質の座標が変化するということである。

こういう見方をすると、座標の変化が早いということと私たちにとって時間の流れが早いという感覚の関係もうまく説明することができる。私たちはよく、忙しく働いていている1ヶ月が、今までの1ヶ月に相当する感覚より短かったときに、「時間が経つのが速い」などと言ったりするが、逆である。あなた自身の変化が早いときに時間は速く流れるのである。あなたの変化こそが時間の変化である。

ネズミは0.1秒に1回、人間は1秒に1回、ゾウは3秒に1回、心拍を打つと言われる。ネズミの体内に流れる血液の速度はそれだけ速く、ゾウは遅い。そのせいか、ネズミの細胞の風化は速く、2~3年で一生を終える。この事実を知って私たち人間は、2~3年で死ぬなんてかわいそうだと思うだろうか。(ねずみがあなたにとって哀れみの対象となる愛しさを持っているかは置いておいて。)ネズミは私たちよりも変化が速く、1秒を相当な時間の幅と認知しているかもしれない。ネズミにとっての彼ら彼女らの一生は体感的には私たち人間にとっての私たち人間の一生と変わらないかもしれないのだ。

こういったことをぐるぐる考えていると、やはり3次元->4次元のジャンプには私の認知機構にとって非常に大きな意味があると感じざるを得ない。1次元->2次元や、2次元->3次元には、それほど考えるべきことがない。

ということで、今回は時間の相対性について私が日々考えているようなことを書いてみました!


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