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産業革命
イノベーションは、さまざまな伏線が回収されて起こる
「時代は第四次産業革命に突入し…」
最近よく話題にのぼる事柄である。AIやIoT、ブロックチェーンなどによって人々の暮らしが大きく変わっていく2010年代からの数十年を表現したものだ。ところで、第四次があるということは、当然、第一次産業革命もあるわけだが、その知識は曖昧な人も多いのではないだろうか?
そこで、今回は「産業革命」の原点を解説していく。
時は1763年に遡る。よく産業革命は18世紀半ばを起点とすることが多いが、おおよそこの年を指していると考えてよい。
なぜ1763年が重要か説明しよう。
それまでヨーロッパの国はずーっと戦争をしていた。大航海時代を経て、アメリカ大陸からインドまで、文字通り世界中に植民地を持つようになった。
ヨーロッパ本土でも戦争が起きている状態で、オランダから始まりスペイン・フランス・イギリスが、我こそが覇者になるぞとしのぎを削っていた。
やがて争いからオランダが脱落し、イギリスがアメリカ東海岸に植民地を持つようになった。いわゆる13植民地である。一方でフランスもミシシッピ川以東のルイジアナを植民地としており、どちらが北米の覇権を握るかで一触即発の状態となっていた。
西インド諸島(カリブ海の島々)や中南米でも、イギリスとフランスが覇権を争っていた。ドミニカ・グレナダ・セントビンセントおよびグレナディーン諸島・トバゴ島・ベリーズなどだ。
同時に、イギリスはインドでも植民地化を進めており、マドラスをインド支配の拠点としていた。一方でフランスもポンディシェリーをインド支配の拠点としていた。
そうした中で1754年、ヨーロッパ本土でイギリスVSフランスの七年戦争が勃発してしまう。
それをきっかけに、イギリスとフランスがそれぞれ各地で持っていた植民地同士も戦争が始まってしまったのである。
イギリス領13植民地VSフランス領ルイジアナでフレンチ=インディアン戦争、イギリス領インドVSフランス領インドでカーナティック戦争が勃発した。
結果、1763年にパリ条約が締結され、イギリスが大勝利して世界の覇権を握ることになったのである。
イギリスはアメリカとインドからフランスを追い出して手中に収めることに成功した。
これが産業革命の成立に大きく関わることになる。
さて、最初の「産業革命」でのカギになる技術はご存じの方も多いだろうが、蒸気機関である。
蒸気機関が誕生したことにより、鉄道が生まれ、交通に大きな革命を起こすことになる。しかしそれ以上に大きな影響が与えられたのが、織機だ。産業革命がおこる前から、イギリスでは毛織物や綿織物が一大産業となっていた。最初は手で織っていたものが、
ジョンケイの発明した飛び杼
アークライトの発明した水力を動力源とした水力紡績機
カートライトが発明した蒸気機関を動力源とした力織機
などで、一気に生産能力が拡大したのである。
特に蒸気機関の織機への応用が、世界経済を一変させるほどのイノベーションとなった。
蒸気機関を動かすには石炭が必要だが、炭鉱でも蒸気機関を使うことにより石炭の産出がより一層容易になり、それが蒸気機関自体の可能性を広げるといった好循環も生まれた。
さて、なぜ他のヨーロッパのどの国でもなく、”イギリス”で産業革命が起こったのか?というのが、今回の記事の最も伝えたいことである。
それは、大きく分けて4つの理由によるものだ。
1.イギリスには他のどの国よりも富が蓄積されていたから
イギリスには新たな技術を使った工場を作り生産を拡大できるだけの富が存在した。その富の源泉となったのが、大西洋三角貿易だ。一般的には奴隷貿易として知られている。
まず、イギリスなどヨーロッパから綿織物や銃などを西アフリカに輸出する。これは、西アフリカであるものを調達して運び出す際の対価となるものであった。それが、黒人奴隷だ。黒人奴隷は奴隷船に積み込まれ、カリブ海の島々や南米、アメリカ合衆国南部で働かされることとなった。
奴隷たちが働いて生産された砂糖や綿花、ラムなどがヨーロッパ本土に輸出されるというわけ。
これにより、ヨーロッパ→アフリカ→アメリカ大陸→ヨーロッパという三角貿易が成立するのだ。
17世紀から18世紀にかけて、イギリスでは紅茶を飲む習慣が広まった。それに従い、砂糖が非常に貴重なものになっていたのだ。
当然綿花も、綿製品を大量に生産するために必要になってくる。
この元締めとなっているイギリスは、綿製品や銃が砂糖や綿花に化けるのだから、大儲けである。そんな状態がしばらくの間続いたから、莫大な富が蓄積されることになったのだ。
2.イギリス国内に工場で働くための人がたくさん存在したから
これももちろん重要な要素だ。いくら投資するお金があって工場を作れても、そこで働く人が沢山いなければ生産を急速に拡大することは出来ない。
なぜイギリス国内にそれだけ働く人がいたのだろうか?
その答えは農業に隠されていた。
穀物法廃止の特集でも触れたが、イギリス国内の農業は集約化が進んでいた。数多くいる小規模な農家の農地をまとめて大規模にして運用する必要がある。それを大々的に行ったのが囲い込みである。そうなると、土地を失った小規模な農家は、どこかで働かないといけなくなる。更に農業の生産性拡大で食料の供給能力が上がることで、人口も増大した。
そうした労働力が都市に流れ込んだことで、工場で働く人々を賄うことが出来たのだ。
3.大量に製造した綿製品を販売する市場が存在したから
多額の投資、豊富な労働力、生産を爆発的に拡大させられる要素は揃った。さて、それをどこに売れば良いのか。
それを解決したのが、この特集の一番最初で触れた、イギリスの覇権の確立なのだ。
アメリカ大陸では13植民地に加えてフランスからルイジアナと、スペインからフロリダを獲得、インドからフランスを追い出して独占状態。
アメリカとインドを手に入れたのだ。そんな大きな市場2つに、大量生産可能な綿製品を輸出すればボロ儲けなのは、現代人も容易に想像できる。
ただ1つ問題があった。インドではキャラコという織物が特産品として存在し、かなり質も高く値段も安かった。そこでイギリスは、職人の腕を切り落として生産できないようにしたというエピソードが存在する。
4. ピューリタン革命や名誉革命で、封建制から市民が中心となる資本主義社会へと変化が起こったから
産業革命がおこるより少し前、1600年代のイギリスでは2つの穏やかな革命が起こっていた。ピューリタン革命(1642~1649)と名誉革命(1688~1689)である。
革命というと現代人はすぐ社会主義革命のほうを連想してしまうが、この2つの革命はあくまでも資本主義革命だ。封建的な体制を解体して、自由な経済と資本主義社会をめざす革命のことだ。あくまでも資本家や市民が主体で行われ、打破する相手は資本家ではなく旧体制であった。
そうやって自由に商売する風潮が出来上がっていたからこそ、工場に投資し、人を雇い、大規模に生産するということがすんなり行くようになったのである。
自由に商売や取引ができるということは、実はとても重要なのだ。現代人は忘れがちではあるが。
結論
さて、この特集の結論は、「イノベーションはさまざまな要因が重なり合うことで起こる」である。
副題としても付けたが、このページをみて理解を深めた後ならば、理解しやすいのではないだろうか。
イギリスで産業革命が起こったのは、
・画期的な発明をいくつも生み出して
・それに大規模に投資するだけのお金があり
・新しい産業で働く人がたくさんいて
・市場としてその製品を使う人が沢山いたから
・そして何より、自由な経済や新たな時代の資本主義が起こる土台が出来上がっていたから
さて、鋭い人ならもうお分かりだろう。
これ、まさにインターネットが普及した時と同じではないか?
インターネットが、そしてIT産業がこれだけ世界的なものになったのは様々な要因が重なったからだ。
もともとは軍事用だったコンピューターと情報通信技術。ソ連に勝つためにアメリカが惜しみなく軍事費を投入し、軍事用の半導体集積地であったシリコンバレーにも流れ込んだ。冷戦が終結し、民間企業が家庭用コンピューターを広く売り出すようになり、インターネット回線が全米、そして世界中に張り巡らされた。家庭用コンピューターから人々がインターネットにアクセスし、ウェブサイトを見るようになった。新しく生まれたITベンチャーにお金を投資するベンチャーキャピタルがいくつも生まれた。やがて株式市場に株を公開して更に莫大な資金が流れ込んだ。クリントン政権になって金融とITの規制緩和が進み、その流れは加速した。
インターネットに限らず、第四次産業革命と言われるAIやIoT、ブロックチェーンも、インターネットの普及が前提となってそこに色々な要素が積み上げられることで、爆発的な進化を遂げている。
ベンチャーキャピタルなどの資本は以前よりも更に充実している。株式市場にも更に資金が流れ込んでいる。世界中の人のみならずモノまでインターネットで繋がるのは当たり前で、5Gなどの高速回線が主流になりつつある。
繰り返すが、イノベーションはさまざまな伏線が回収されて起こる。そういった流れに取り残されたくないのなら、普段から色々な情報に触れて、何が伏線になりそうか目を光らせておくべきだ。
いつの時代も。
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