rumera-ルメラ-第4話 愛すべき君の指先編
「門脇先生、やっぱり素晴らしいタイピングです! タイピングの魔術師のようですね!」
生徒の森島さんが、僕の隣でにっこりと笑う。花のような甘い香りが、ふんわり漂ってくる。
僕は「魔術師だなんて、大袈裟ですよ」と言って、キーボードから両手を離して立ち上がる。何もないような振りをするが、森島さんの言葉が嬉しくて頬がすこし緩んだ。
「さあ、今教えたように打ってみてください」
「はい」
森島さんに席を譲り、僕は彼女の背後からパソコンの画面を見つめる。さっきからいい匂いがすると思っていたが、これは彼女の髪の毛から匂ってくるんだ。画面を見る振りをしながら、彼女の後頭部に鼻を寄せる。
カチカチカチカチ
「その調子です。だいぶ上手くなりましたね」と言いつつ、髪の毛の匂いをくんくんと嗅ぐ。はあ、いい香りだ。頭の中に薔薇畑が咲き誇るようだ。心臓がぐん! と跳ね上がる。
「本当ですか? 先生の教え方がいいんですよ」
くすぐったそうにしながら、森島さんがくすくすと笑う。
はあ、かわいい・・・・・今すぐにでも背後から抱きしめてやりたいが、他の生徒もいる為、それは出来ない。
カチカチカチカチ
彼女の美しい指先が、キーボードの上を軽やかに動いていく。白くて細長い指は、タンチョウヅルの華奢な脚を連想させる。それぐらい儚くて、優美である。
華麗に踊る指先に触れたくて、つい腕を伸ばしそうになるが、ハッとしてすぐに手を引っ込める。
触りたい。愛すべき君の指先に。今すぐに、この両手に包みこんでしまいたい——。
その衝動を押さえこむように、唇をギュッと噛みしめる。
だめだ、だめだ。彼女はタイピング教室の生徒だ。こんな事したら、嫌われるに決まっている。
僕は掛け時計に目を向け、彼女の背中から離れる。そうして、手をパンパンと叩いて「本日の授業はおしまいです。お疲れ様でした」と、生徒たちに授業の終わりを告げたのだった。
※
家に帰ってきた僕は、ヘトヘトのままソファーに寝転んだ。ゆっくりと、柔らかな布地に身体が沈んでいく。今日も疲れた。何もしたくない。閉じていく鉛のような瞼の裏側。森島さんのかわいらしい笑みが映し出された。
『先生、私、デジタルメモのルメラで小説を書いているんです』
ルメラ。彼女は小説家を目指していて、早く書けるように教室に通うようになったらしい。彼女がルメラを使っているから、僕はネットでルメラを検索して購入しようとした。しかし、大人気商品らしく、どこのショップも半年待ちということだった。どうしても、彼女とお揃いのルメラが欲しかった。
悩んでいた僕の元にある日、差出人不明の荷物が届く。薄ペラい箱だった。中身を開けると、〈当選しました。おめでとうございます〉というメモと共に入っていたもの——それが『ルメラ』だった。
僕は思い出したようにパッと目を開き、薄暗い廊下を進んで自室に向かった。パソコンの前、折り畳まれた真っ黒なボディが微かに光りを放つ。無言のまま椅子に座り、パカとルメラを開く。白く発光する画面に、暗証番号を手早く打ち込んだ。
カチカチカチカチカチカチ
僕はルメラに、彼女への想いを綴っている。
【森島さん、今日もかわいかったね】
彼女が使いやすいと言っていた通り、ルメラはタイピングがしやすく、とても使いやすい。軽くて持ち運びができるのも人気の理由みたいだ。
カチカチカチカチカチカチ
【森島さん、好きだ。大好きだ。愛してる】
「君を僕のものにしたい」
と口に出してみる。しかし、僕は異常なほどの奥手だ。どうやってこの気持ちを伝えていいのか、分からない。その術を知らない。
カチカチカチカチカチカチ
【君の髪。君の声。君の指先・・・・・】
そこまで打って、あまりの胸の高鳴りに息苦しくなって、両手をキーボードから離した。胸を掻きむしり、呼吸をふうふうと整えた時。
カチカチカチカチカチカチ
ひとりでに動くルメラ。
【君の指先は美しい。愛すべきは君の指先。君の指先が欲しい。ずっと触れたかった指先が】
「な、何だ、これ?! 打ってないのに、勝手にタイピングされていく!」
僕が打っていない文字が、ルメラの画面に次々と表示されていく。ど、どういう事だ?
カチカチカチカチカチカチ
【君の指先が欲しい。君の指先が欲しい】
カチカチカチカチカチカチ
【毎日抱きしめて。頬擦りして。舐めまわしたい。君の指先があれば、僕は幸せだ・・・・・】
「何だよ、これっ?!」
僕はルメラのキーボードを両手で叩く。しかし、タイピングは止まらない。
カチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチカチ・・・・・
【君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい。君の指先が欲しい・・・・・】
ルメラの画面を閉じるが、すぐにまたパカと開いて打ち始める。力尽くで閉じようとすると、今度はなぜか閉じなくなる。石化したみたいにびくともしない。何だ、この機械は? 故障してるのか?!
ハンマーでも持ってきて、ぶち壊すか?
そんな事を思っていた時、ピンポーン! と玄関の方で軽やかな音がする。
「今度は何だ?」
背中に不気味なタイピングの音を感じながら、僕は慌てて部屋を飛び出し、玄関に向かって走る。玄関の棚の上に、何やら箱らしきものが置いてある。宅急便か? 無言で置いていったのか?
無造作に置かれた箱を手に取る。それは、少し厚みのある手のひらサイズの箱だった。それを抱えながら自室に戻ると、ルメラは静かになっていた。画面には【君の指先が欲しい。君の指先が欲しい・・・・・】の表示。とりあえず、止まって一安心だ。
ルメラの横に箱を置いて、カッターナイフを滑らせて蓋を開ける。白い芋虫のような梱包材がたくさん詰められている。その中に両腕を沈めると、指先にひんやりした感触が貼りついた。
何だ? この気持ちの悪い感触は……? 恐る恐るそれを掴んで、白い塊の中からザバッと持ち上げた。
「うわあぁぁぁーーーっ!!!」
手離したものが、床にゴロリと転がり落ちる。
人の手首だ。しかも、キレイに切断されている手首。その美しい指先には見覚えがあった。
「あぁ、あぁ、ま、まさか・・・・・」
カチカチカチカチカチカチ
【お前の望みを叶えてやった】
「そ、そんな・・・・・」
【お前はあの子の指先が欲しかったんだろう?】
「触りたいって思っていただけだ。ただそれだけ。それだけなのに・・・・・」
足元に転がった蒼白い手首は——彼女の手首だった。それはまるで、まだ生きているかのように美しい。タイピングをする彼女の指先そのものを静止して、固めたみたいだった。
カチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチカチカチ
【はあ? 何を言ってんだよ? 彼女の指先も、髪の毛も、声も、身体も、全て。自分のものにしたくて、仕方がなかったくせに。でも、意気地なしだから出来なかった。そうだろ?】
ルメラは容赦なく、タイピングを続けていく。その文面は楽しそうに、弾んでいるように見えた。
「何なんだよ、お前! ただのデジタルメモなんだろ? ど、どうして、彼女を・・・・・」
ルメラが彼女の手首を切って、殺した? まさか、そんな事、こんなただの機械にできるわけない!
僕は引き出しから、ハンマーを取り出す。
「お前なんか、破壊してやる!!」
ハンマーを強く握りしめ、無防備なルメラに向かって振りあげた。
カチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチカチカチ
んんっ?! う、腕が、動かない!
【せっかく、お前の望みを叶えてやったのになぁ。仕方ないなぁ。お前のタイピングは素晴らしかった。さすが、『タイピングの魔術師』と呼ばれるだけの事はある。だから、特別に大好きな彼女と一つにしてあげるよ】
振りあげられたハンマーは、テーブルに置かれた僕の手の上に振り下ろされる。手の甲にハンマーが突き刺さる。血肉が無惨に砕かれる。
「うがあ、わあぁぁぁーーーっ!!!」
カチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチカチカチ
【門脇は自分の手をハンマーで砕いて潰して、見事にぐちゃぐちゃにする。そうして、大好きな彼女の手首を、自分の手首に嵌め込む。「これで彼女と一つになれる。幸せだ」と叫ぶ。しかし、千切れた手首から血液が大量にあふれ出す】
「こ、これで、彼女と一つなれる。し、幸せだ!」
僕は彼女の手首を自分の手首に嵌める。しかし、嵌まらない。彼女の美しい指先、手首が、僕の太い手首に合うわけない。そ、それよりも、呼吸が苦しくなって、頭がクラクラする・・・・・。
カチカチカチカチカチカチ
カチカチカチカチカチカチ
【紅の湖がじわじわと広がっていく。湖に沈み込む男は、愛しそうに彼女の指先を口に含む。とてつもない幸せを感じるが、出血多量で間も無く息絶えるのだ、可哀想に。まあ、でも彼女が先に天国で待っているから、きっと死んでも幸せだろう】
手首からあふれ出した血液が、ルメラのキーボードを侵食していく。その液体をちゅるちゅると内部に吸収していくと、ルメラは一瞬で血の色に染まる。
鮮血を吸って真っ赤になったルメラは、高らかにあざ笑う。
【人間の血は大好物だ。足りない。もっと、くれ】
(第4話・完)