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レビュー『実力も運のうち 能力主義は正義か?』マイケル・サンデル

行き当たりばったりで、「運」をたよりに事件を解決する傑作ドラマ、NETFLIX「ダーク・ジェントリー」を見てから、「運」というものに興味がわいてきました。

そこで手に取ったのが2021年に大きな話題になった『実力も運のうち~能力主義は正義か?』です。

世の中を平等にするはずの能力主義が、実は固定化された格差を生み出すと指摘しており、能力主義の実態を知りたい人には必読です。

アメリカやヨーロッパで、成功できずに悩んでいる人や、分はだめな人間だ、と落ち込んだことがある人にもおすすめ。
(日本は能力主義というよりは所属主義なので、事情が異なります)

といいましたが実は、むしろ成功している人にこそ、自分の成功を見つめなおし、自戒を促すのに役立ちます

「運も実力のうち」という言葉はよく聞ききますが、タイトルの「実力も運のうち」は意表をつかれます。

もしも、「実力」がただ単に、「生まれ」という「運」による幻想だとしたら。

原題は「The Tyranny of Merit」なので、直訳すれば「能力の専制」ですが、「Merit」という言葉は「功績」に近く、「功績、とくに学歴によって人生が決まる、能力主義の独裁」となります。

「学歴」は能力の証であり、功績でもあるといえますが、現実を見ればハーバード大学の学生の3分の2は、所得で上位5分の1に当たる家庭の出身です。

「ハーバード大学やスタンフォード大学の学生の三分の二は、所得規模で上位五分の一に当たる家庭の出身だ。気前のいい学資援助策にもかかわらず、アイビーリーグの学生のうち、下位五分の一に当たる家庭の出身者は四%にも満たない。ハーバード大学をはじめとするアイビーリーグの大学では、上位一%(年収六三万ドル超)の家庭出身の学生のほうが、所得分布で下位半分に属する学生よりも多い。

その事実に反して彼らは、自分が入学できたのは「努力と勤勉さ」のおかげだと思っています。

彼らが「努力で高学歴」を手に入れたと考えているため、彼らの目にうつる低学歴の人は「努力を怠った怠け者」。

結果、高学歴の人が低学歴の人を見下すことになります。

この見下しが恐ろしいのは、高学歴の人たちは、それを差別であるとは気づいていない点。

(高学歴の人たちは、自分たちは「国籍や人種で人を差別をしない人間」だと信じて疑わないにも関わらず。)

それは彼らが、「やればできるはずなのに、努力していない人が悪い」や、「努力していない者が報われないは当然だ」という、能力主義を信じているからです。

こういった高学歴の「エリート」と呼ばれる人たちに見下されている低学歴の「非エリート」達は、そのことに反感を抱いており、それが彼らを民族主義や国家主義に走らせ、トランプ大統領の当選を可能にしました。

いったいなぜ、成功者が社会の恵まれないメンバーに負うものがあるというのだろうか? その問いに答えるためには、われわれはどれほど頑張ったにしても、自分だけの力で身を立て、生きているのではないこと、才能を認めてくれる社会に生まれたのは幸運のおかげで、自分の手柄ではないことを認めなくてはならない。

成功があくまでも「運」でしかなければ、うまくいかないときに「自分に能力がなかったから」と自分を責める必要はありません。

たとえ成功したとしても、うまくいっていない人々を見下すことはできないと、著者は語ります。

著者は、『これからの「正義」の話をしよう』で知られる政治哲学者・倫理学者のマイケル・サンデル。

彼は類まれなる講義の名手としても有名で、 NHKで放映されていた『ハーバード白熱教室』を通じて知っている、という方も多いのでのではないでしょうか。

1980年代のリベラル‐コミュニタリアン論争で注目をあびて以来、共同体主義(コミュニタリアニズム)の代表的論者として知られています。

「努力すれば成功する」と、人はよく口にしますが、それが真実ではないことを本書は示唆。

平等な社会の達成にむけてうまれた能力主義も、実際には不公平であると同時に、社会的不満の温床となると教えてくれます。

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