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レビュー『人類の起源、宗教の誕生』

人類の起源、宗教の誕生』を再読しました。

再読した理由は、読んだ内容を消化しきれていなかったから。

以前書いたレビューがこちら。

ゴリラ専門家・京大総長の山極氏と、同志社大学神学部教授の小原氏の対談がメインの本でとても刺激的で、人間とは何かを考えさせられます。

興味深かった箇所を3点にまとめます。

人類の起源

人類が、150人規模の大きな集団を形成するようになったことが、チンパンジーやゴリラと、人間とを分けることになった理由です。

150人規模の集団をつくった理由は、個体の数を増やすため。

母親と父親だけの二人では子育ては難しく、集団であれば、集団のみんなで子供を育てることができます。

また、集団になったことで、1年に一人子供を産むといったように、出産サイクルを早めることにも寄与。

さらに興味深いのが、倫理感の始まりが、狩猟グループと、狩猟グループの帰りを待つグループの関係からはじまったという点。

弱肉強食のジャングルでは、弱いものは捕食者の餌食に。

そんなジャングルでの生活では、集団のなかで強い者が、仲間のために食べ物を取りに行くことになります。

そして、狩猟グループを待っていた人たちは、狩猟グループが持って帰ってきた食べ物をろくに確かめずに、一緒に食べる習慣がうまれました。

狩猟グループを信じることが、信頼関係のはじまりとなり、倫理感の誕生へとつながっていきます。

言葉の弊害

ぼくたちが日常なにげなく使っている言葉。

その言葉によって何が生まれたかというと、「暴力」です。

殺傷能力のある武器自体は、かなり昔から存在していました。

たとえば、槍が50万年前、弓は10万年前。

しかし、暴力による死亡率が増えるのは、3000-500年前からと、比較的最近のことです。

それはなぜかというと、「言語による想像力の拡大」によって、敵と味方とを分断し、お互いを攻撃するようになったからです。

プロパガンダの恐ろしさを感じるとともに、便利な言葉の裏側にある危険性について、敏感にならなければいけないと思いました。

直感の衰退

昔の人間は生身の身体をつうじ、生の経験から生じた物語のなかを生きてきました。

いいかえると、昔の人類は直感で生きてきたといえます。

宗教もその一つで、生の現実に直ぐに転換することが可能でした。

物語自体がその人自身の生きる意味となり、他の人や生物と付きあう根拠となっていました。

しかし、身体にかわって、現代の人類がよりどころとしているのは「情報」。

そんな情報は、いくらでも操作が可能となっています。

人間はもともと、物語によって生きる意味を見出すことに強くこだわる生物なので、生の現実よりも、ネットの非現実の方がリアリティをもつことが可能です。

おわりに

類人猿学者と宗教学者の異色の対談が、お互いの専門分野から宗教の起源にせまる本で、知的好奇心をゆさぶられました。

なかでも面白いとおもったのが、以下の人類学の研究方法。

「我々の研究方法は、サルになってサルの歴史を書け、あるいは、ゴリラの気持ちになって、ゴリラのやっていることを理解せよというものです。」

p153

これは、模倣を通じての遊び、学びに通じるものがあり、「学ぶ力」をつけるにも参考になる点が多かったです。

また、集団の起源や、言葉の弊害、直観の衰退といった、「人間とは何か」をみつめなおすためのキーワードを学ぶことができました。

文化人類学に興味のある方におすすめの本です。

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