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前職でドン底だった私が、事業部長になるまで。

古田治(売買事業部長)


■ドン底の元保険営業担当が不動産営業へ

もう14年前の話になる。
保険の営業担当として働いていたころ、私は人生のドン底にいた。
「保険の営業担当」と聞くと、厳しいイメージを持つ人が多いだろう。実際、厳しい仕事だった。

まず、顧客を獲得するのが桁違いに難しい。
保険営業は、会社からお客様を渡されることがほとんどなく、自分で0から開拓していかないといけない。さらに9割の人はすでに保険に入っているので、切り替えてもらえるように営業する必要がある。
そして、友人が減る。
別に営業したわけでもないのに、私が保険営業を始めたと聞いて、電話に出なくなった友人がいた。

そこそこ上位の成績だったものの、どれだけ積み重ねても新しく顧客を探し続けなければならないことがしんどく、メンタルが限界に迫りつつあった。
「今離職してしまったら、私を信じて契約をしてくれた親や親友を裏切ることになるんじゃないか」
そう思うと、さらに重苦しい気持ちになり、葛藤した。

自営業をする父が経営に苦労する姿を見て育った私は「とにかく稼ぎを持たなければ」という気持ちが強く、焦っていた。

悩みながら転職活動をして、ようやく出会ったのがハウスドゥだ。
成果さえ出せば年次にかかわらず評価され、きちんと稼げる給与体系に惹かれた。

年末に入社し、すぐに忘年会があった。当時はまだ100名前後の規模で社員全員が集まっていて、安藤社長(現:And Doホールディングス 代表取締役社長)にも挨拶した。

「新入社員の古田です。会社を起業した経験も色々ありますが、直近の前職は保険会社の営業で、先行きが不安でもうドン底でして……心機一転、ハウスドゥのいろんな事業を学び、スキルアップするために転職しました」

安藤社長は「そうか」と大きく頷き、こう言った。

「ドン底を知っている人間は強い。だから大丈夫だ」

安藤社長とはその一言二言しか話せなかったが、これから再スタートする私にとって、これ以上ないくらいうれしい言葉だった。
この言葉が、力強く一歩目を踏み出す力になった。

ハウスドゥに入って思ったことは
「成長スピードが速く、営業成績で評価される公平な会社だ」
ということ。

「上司に気に入られたら出世する」といった風潮は一切なく、上司にベクトルを向けて仕事する必要がない。
営業成績が何より大事であり、お客様に対してサービスして、成果を出せばいいのだ。まっすぐ成果に向かって、つまりお客様に向かって仕事できる。

最初は不動産売買の仲介を担当した。新卒で不動産会社に入って賃貸の経験は積んでいたが、不動産仲介は未経験。現場のOJTを受けながら経験を積み、3年後には新規エリアである静岡県で立ち上げる新店舗の店長を任されることになる。
成果さえ出せば年次に関わらず評価される制度は嘘ではなかった。

■少数精鋭の売買事業部へ。社長の後釜というプレッシャーを乗り越えるまで

当時の売買事業部へは、仲介事業部の店長を経験した人しか配属されなかった。
店長としての働きを評価されたことで、めでたく売買事業部の営業に異動になったものの、プレッシャーは大きくなった。
これまでの仲介事業は売主と買主をつなぐ役割だったが、売買事業はハウスドゥが不動産を購入し、商品化して販売するまでを担う。当然、大きなお金を投入するので責任重大だ。細部までしっかり確認し、判断が正しいか何度も練り直さないといけない。

ただ、私と同じ時期に仲介事業部で店長を務めていた社員が、先に売買事業部に異動して大きな成果を上げていたので、負けたくない気持ちがあった。
少数精鋭の売買事業部でコツコツと成果を積み上げ、マネージャーを経て、異動から6年後には売買事業部の事業部長になる。
私はこの時のことをよく覚えている。

ある日突然、電話が鳴った。相手は市田社長だ。

「古田、お前が事業部長になってほしい」

今まで私は、市田社長に対して一度も反発したことがなかったが、この時ばかりは
「それは無理です」
と言った。初めての反発だった。

一座の右腕とも言える売買事業部長になれたのは華々しい出世に思えるが、さらに大きなプレッシャーがのしかかってきていた。
何を隠そう、前任の売買事業部長は市田社長だからだ。

市田社長はすさまじい営業力があり、少数精鋭のエリート集団である売買事業部のトップ営業マンだった。そんな市田さんの後釜を務めるプレッシャーは並大抵のものではない。

「一番売り上げも利益も大きい営業部の事業部長に、私がなるのか?」
そう考えると、易々と承諾することはできなかった。

尻込みする私に、市田社長は続けてこう言った。

「プレッシャーをプレッシャーと思うと潰される。重要なポジションを任せてもらえる喜びに転換しよう。お前なら大丈夫。一緒に、より良い組織にしていこう」

「大丈夫」
安藤社長にも言われていた時の嬉しかった気持ちと、どこか共通する安心感を感じた。

ドン底からハウスドゥに入り、ただの営業社員からここまで這い上がってこれたのは、本来喜びであるはずだ。
市田社長も、ただの営業社員からスタートしている。

ゼロスタートで大きくキャリアアップできる会社だと伝え、自分のように歩める人間をたくさん生み出すのが、私がやるべきことじゃないのか。
背中にあるプレッシャーよりも、前に進む背中を見せることに集中しよう。

そう思うと、不思議と背中が軽くなり、電話を切る頃には強い決心に変わっていた。

■自分が培ってきたノウハウを伝え続ける理由。

事業部長であれど、営業の一人として数字は作り続けていくのがハウスドゥ・ジャパン。いわゆる、管理職はプレイング・マネージャーでいなければならない。

個人成績を追い求める営業は、ノウハウを個人でため込むことも少なくないが、私はこれまで培ってきたノウハウを、研修を通して余すことなく伝えている。
事業部長だからという理由ではない。
過去の自分を見ているようで、素直に成長を喜べるからだ。

私はこれまで営業職として、社内で最も中古買取再販の実績をつくってきた自負がある。
だからこそ成果が認められ、事業拡大に向けて事業部長に抜擢していただいた。
これまで受けてきた期待を、後輩や部下にも、自分から与えていきたいし、私がプレイヤーとして大きな仕事に挑戦していく姿を見せて、勇気を与えていきたい。

そうやって部下の成長に貢献していると、どれだけ個人で営業していても孤独にはならない。メンバーとともに成長している実感が、プレッシャーを力に変えてくれる。
悩みがゼロになることはないが、メンバーが成果を出してキャリアアップしていく様を見届けたい。

「大丈夫。」
プレッシャーを喜びに変えて、挑戦し続けていく。

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