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2月28日 「自虐」をしていた自分のこと

「どうせ私なんか」
これが私の学生時代の口癖だった。

もともと高校時代に大きな挫折をひとつしてしまったことにより、大学に進学したころは自分に自信がなかった。大学は県外に進学したが、そんな挫折をした環境にいたくなかった、という理由もあったと思う。

進学した大学、新しくできた人間関係の前で、(もう覚えていないが)ひょんなことから何か自虐をしてしまい、「お前は卑屈だな」といじられていた。

そのときは別に嫌な気持ちではなかったし、今も言われていたことに対して特に何も思っていない。しかしあまりにも言われるものだから、「私は卑屈なキャラクターを演じなくてはいけない」と躍起になっていたんだな、と今になって分かった。一種の持ちギャグのような気持ちで「どうせ私なんか」という言葉を繰り返していたのだ。

しかし、大学を卒業し社会人になって何年も経つ今、そういった思考が自分の中に全くないことに気づいた。

思えば、以前いた会社で、謙遜をするために「いや私なんて卑屈ですから……」という言葉を発したことがある。しかし「え!そんなふうに思ったことないよ!」と返された。

これまで自分のことを「卑屈」だと思い込み、「卑屈」を自分のキャラクターだと決めつけていた私はびっくりした。「ああ私って卑屈じゃなかったのかな」と本当に思ってしまったほどだ。

また、社会人になってから「あなたの作るものはおもしろいよ」「好きだよ」と言っていただけることが何回かあった。これまで自信がなく生きてきた私にとって、本当にお守りみたいな言葉をもらったと思う。
その言葉のおかげで、自分のことを以前よりは愛せるようになったし、最近は全く自虐をしなくなったと思う。
(ていうか自虐って聞いている側もなんて答えたらいいかわからないし、いいことないよね……。世の中的にもラブマイセルフの精神が広がっていて嬉しく思っている……。)

繰り返すが、言われていた当時は別に傷ついていなかったし、自分の性格も客観的に見てそういうものだと思っていた。今でも卑屈以外の何者でもないな……と、振り返ってみて思う。

しかし、言葉とは呪いのようなもので、あるイメージの言葉を言われると、「私ってこういう人間なんだ」と思い込んでしまい、自然とそういう人間になろうとする。それ以外の自分になることは本当に難しい。結果、いつも自信のない自分がデフォルトで、まわりと比べて勝手に落ち込むことも多かった。

マイナスの言葉を浴びたら、思考もマイナスになる。
そしてプラスの言葉を浴びたら、思考もプラスになる。

今は、(すべてに自信があるわけではないけれど)自分のことが好きだ。
そう思えて、多少健やかに生きていることをよかったな、と思う。

そんな最近の気持ちの変化について考えた週末だった。

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