老子道徳経と中医学的身体観七十三
副題 任爲
中医学的身体観としては、
人体を一つの太極(枠組)とすると、
命はその枠の範囲で動く。
但し、その枠も時と場所によって変化する事で、命の質を変えていく。
互いを根とし互いを利用しながら魂を磨く。
命の中で死ぬまで絶えず動くのは心だが、
外面上は身体(形)が動き続けることで、
心を助ける。
鳳凰堂流解釈
天と地、時の流れとご縁には決まった法則性があるが、その二つに影響される人の心は様々。
善悪美醜は、その時によって、人によって、場所によって変わる。
変えるのは人であり、人が変えるが時は変わらず、ご縁がゆっくりとその形を変える。
鳳凰堂流意訳
悪いと判断した人に対して、勇気を持って断罪するか、勇気を持って見過ごすか。
この二つは一つは利になり、一つは害になる。
時や人がどちらに偏るかは誰にも分からない。
時は変化し続け、人は大きな流れに飲まれやすいから。
良く考える人にとってもこの判断は難しい。
天の道は争わずして勝ち、言わずして万物の要求によく応じ、招くことなくやって来させ、ゆっくりとしながらも、うまく計画する。
時の采配は流れるように全てを包み込んでいる。
直訳
あえてするに勇なればすなわち殺、
敢えてせざるに勇なればすなわち活。
この両者はあるいは利、あるいは害。
天の悪(にくむ)むところ、たれかその故を知らん。
ここをもって聖人すらなおこれを難(かた)しとす。
天の道は争わずして善く勝ち、言わずして善く応ぜしめ、召さずしておのずから来(まね)き、繟然(せんぜん)として善く謀(はか)る。
天網(てんもう)恢恢(かいかい)、疏にして失わず。
原文
勇於敢則殺、勇於不敢則活。此兩者或利、或害。天之所惡、孰知其故。是以聖人猶難之。天之道不爭而善勝、不言而善應、不召而自來、繟然而善謀。天網恢恢、疏而不失。
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