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老子道徳経と中医学的身体観六十四

副題 守微

中医学的身体観としては、

循環する為には器が必要。

身体と言う器(陰、形、太極)の中で、

気(陽、エネルギー)が動く。

認識する為の陰、理論と

感性を働かせる為の陽、象(しょう)

同じレベル(事象)で重ね合わせる為の数。

この3つが一致するなら今の前後まで確かなものとなる。

鳳凰堂流解釈

気は陽であり、常に動いている

形は陰であり、陽の結果でもあり、

その中で陽が動く器でもある。

ちいさな兆しは陽に現れ、

結果は陰に現れる。

陰陽見合わせる事が大切。

鳳凰堂流意訳

じっとしてそこにある物はすぐに手に取れ、兆候が現れる前なら処置はしやすい。

氷のように固くても、もろい物はすぐに溶かせ、小さなものは手で簡単にまき散らせる。

それが表に現れないうちに事を処理し、混乱は芽が出た時につみ取る。

両手で抱えられないほどの大木も、始めは小さな芽から成長し、

九層の高台も小さな土の一盛りから始まる。  

千里の旅も一歩の歩みから始まる。

人は物事を為そうとして駄目にし、

捕まえようとして取り逃がす。

聖人はあえて物事を為さないので、壊すことがないし、

無理に捕まえようとしない為、取り逃がすこともない。  

人々がやることは、よく完成間際というときになってだめにしてしまうものだ。  

始めるときと同じように終わりになっても用心深くあれば失敗は防げる。

このように聖人は(世人の)欲望を持とうなどとはしないし、また得難い財宝などには目もくれない。

(聖人はまた)無学なままであることを学び、大衆が学んで失った以前の状態に引き戻す。

こうして(聖人は)「自然」の運行を助け、それを邪魔しようなどとはしない。

直訳
その安きは持し易(やす)く、そのいまだ兆さざるは謀り易く、その脆きは破り易く、その微なるは散じ易し。

これを未有になし、これを未乱に治む。合抱(ごうほう)の木は、毫末(ごうまつ)より生ず。

九層の台は、累土(るいど)より起こる。

千里の行は、足下(そっか)より始まる。

なす者はこれを敗り、執(と)る者はこれを失う。

ここをもって聖人は、なすことなし、故に敗るることなし。

執(と)ることなし、故に失うことなし。

民の事に従うや、常にほとんど成るにおいてこれを敗る。

終りを慎しむこと始めのごとくなれば、すなわち敗(やぶ)るる事なし。

ここをもって聖人は不欲を欲し、得難きの貨を貴ばず。

不学を学び、衆人の過ぐるところに復す。もって万物の自然を輔(たす)けて、あえてなさず。


原文
其安易持、其未兆易謀、其脆易破、其微易散。爲之於未有、治之於未亂。合抱之木、生於毫末、九層之臺、起於累土。千里之行、始於足下。爲者敗之、執者失之。是以聖人、無爲、故無敗。無執、故無失。民之從事、常於幾成而敗之。愼終如始、則無敗事。是以聖人欲不欲、不貴難得之貨。學不學、復衆人之所過。以輔萬物之自然、而不敢爲。

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