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老子道徳経と中医学的身体観㊾

副題 任徳

中医学的身体観としては、

内と外との関係性

内(心)は自由に動くが、外(身体)に合わせてこそ、本来の心身一如として、

全体で1つの事を成し遂げ、後には外の疲れだけが残る。

この外の疲れは一日前後で身体が修復してくれる。

現代医学では病を主体としてみる。

中医学は医学でありながら、いや、医学だからこそ病だけでなく健康をみる。

現代医学見ると少しの異常も病となるが、

中医学では養生不足や未病。

その区別を知っていながらも、現代医学に少し寄り添うことであらゆる人に受け入れられるよう考えるのが中国医学。



鳳凰堂流解釈

自分の見たい真実は、その人にとっては真実だが、他の人とおなじとは限らない。

それを理解して、共感する事で調和する態度こそ、あらゆるものに受け入れられ、信じられる。

鳳凰堂流意訳

良く考える人は、自分の意見と他の人の意見と照らし合わせながらも、他の人の意見を尊重して伝える。

同じ意見には同調するが、異なる意見も十二分に参考にし、取り入れようとする事で、相手も変わるからだ。

信じているものも、そうでないものも一旦は信じ切り、それによってあらゆる信を得る。

上にいて深く考える人は、あらゆる事に順応し、調和するからこそ、他の人も真実は何を今一度考えるようになる。

直訳
聖人は常心なし。百姓(ひゃくせい)の心を以て心となす。善なるものはわれこれを善とし、不善なるものもわれまたこれを善として、善を徳(う)。信なるものはわれこれを信とし、不信なるものもわれまたこれを信として、信を徳。聖人の天下に在(あ)るや、歙歙(きゅうきゅう)として天下のためにその心を渾(にご)す。百姓みなその耳目を注ぐ。聖人はみなそれを孩(がい)にす。

原文
聖人無常心。以百姓心為心。善者吾善之、不善者吾亦善之,徳善。信者吾信之、不信者吾亦信之,徳信。聖人在天下,歙歙為天下渾其心。百姓皆注其耳目。聖人皆孩之。

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