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まるでだめな僕

昔、小学校にテレビが来たとき。

地方の教育番組が校長に取材に来たとかなんとか。
急に校庭に見慣れない車が入ってきたもんだから、みんなドッジボールを中断して遠巻きに眺めていた。
最初に車から降りてきたのは髭のおじさんで、その次がカメラを担いだ帽子のお兄さんで、でも、そのまた次からは覚えていない。
よくわからない機材やら棒やらがバンから雪崩れてくるのがなんだかおかしくて、赤白帽の下で頬に笑いを溜めていた。
すぐに橋本先生がバンに駆け寄っていって、端の駐車場を指さしている。僕は目と勘が良いので、先生がテレビ局員相手に少し緊張しているのはすぐわかった。
チャイムが鳴っているというのに誰も教室に戻らない。
今日の図工は時間が足りなくなって、来週になるんじゃないかと思って嬉しかった。
僕はその日牛乳パックを忘れていたから。
それに忘れたことを担任の吉川先生にまだ伝えていなかったから。
やがて僕らの間で、何かの拍子に、あの長い棒はなんだという話になった。僕は本当はそれが音声を拾う棒だと知っていたけれど、言わなかった。
僕はあの自分、とても仲間をばかにしていたからだ。一生あの棒の意味を知らずに生きて行けと本気で思っていたのである。


「そんな僕でも年収1000万って書いてツイッターにあげれば少なくとも10人は釣れる」
僕は呟く。最近流行りのAIスピーカーに向かって。
「その10人にメッセージを送ったら、7人から返事が来る。うまいこと言いくるめたら3人が金を振り込む。微々たる臨時収入。よくて5万と少し。でも、5万もあればちょっと良い服も買えるし、2200円のランチプレートも食える。僕も、僕の彼女もだ。壊れた電気シェーバーだって買い換えられる」

『すみません、よくわかりません』

「僕は変わったヤツだったんだ。近所でも噂の的だった。
記憶力が良くて正月は親戚がびっくりしたんだ、よく名前を憶えているねと褒められた。でも違うんだ、本当は記憶力なんてなかった。
その年の正月に必死にノートに親戚の名前を書き留めておいて、一年じゅう、定期的に覚えなおした。そしてまた正月がやってきたら、去年と同じ名前をノートに書き留めておくんだ。今度は顔の絵付きでね。僕は本当に記憶力がなかった」

『すみません、よくわかりません』

「協調性もなかった。仲間だなんて言って、本当は、僕もみんなも、何一つ覚えていないんだ。
芳樹は孝弘にボールをパスしたのに、間違えて僕の名前を呼んだんだ。
孝弘のやつ、「誰だよ」って言った。ぜったいに言った。芳樹は僕の説明をしてくれたけど、少し間違ってたんだ、僕の苗字は岩倉じゃなくて、岩永なんだと、怒鳴ってやればよかったんだけれど。
間違えやすい名前だから仕方がないかもしれないね。でも、僕がこうなったのも仕方がないことなんだと思うんだ。
赤白帽、僕だけ赤の色味が少し違っていたはずだから。みんなのは、とてもきれいな赤色なのに。僕のは少しくすんでたんだ、最初の最初、買ったときから」

『すみません、よ』

「そういえば母親に無理やり連れていかれた病院でも同じことを言われた。
わかりません。すみません。わからないはずがないのに、わからないと言うんだ。
まずはお薬を処方しましょうかと言われたけれど断った。
薬で、芳樹や孝弘みたいになるんなら、それは嫌だったんだよ。あいつらの赤白帽はまるで鮮血みたいに真っ赤だったから。彫刻刀で人差し指を横から刺してしまったときみたいに。
痛かったな……あれは。でも、保健室で手当てしてもらったときは、消毒液のにおいが鼻をついてすごく安心した。
僕の皮膚の一層目の下で血と消毒液が混ざって自分が薄くなっていく気がして、五時間目だったし、すごく居心地が良かった。
秋口の晴れた日だったと思う……。
ああ、もうすぐ麻実が帰ってくるんじゃないのか、洗濯をしてヤキソバでも作ろう。麻実は昨日ソースものが食べたいと言っていたから」

『…………』

生憎、安いAIスピーカーは、時折壊れてしまうのだ。

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