僕が医者になるまでの道のり① ~これが宿命?友人の付き添いで医学部受験~

はじめまして。統合医療の道をじっくり進んでいる医師の堀田と申します。
まず初めに自己紹介を兼ねて、なぜ僕がこの道を歩くようになったのかをお話ししたいと思います。

そもそもなぜ僕が医者になったのかというと、それは「宿命」という一言になるでしょう。

僕は小学校5年生の時、予備校の説明会に行きました。その時予備校の先生から、「今から高校3年生までの7年間、死ぬ気で勉強して早稲田大学か慶応大学に入学すれば、その後の人生は遊んで暮らせるし、女の子にもモテ放題。その代わり、土日を含めすべての休みを勉強につぎ込みなさい。」と言われました。そのため僕はとにかく一生懸命勉強しようと決意し、すべての休みを勉強につぎ込む日々を送りました。

その甲斐あって、高校3年生の夏の模試では、早稲田・慶応大学がB判定という結果が出せるようになっていました。結果に少し安心しながらも、入試に向けてその後も勉強を続けました。

早稲田・慶応大学以外の受験は考えていませんでしたが、「国公立大学も受験してみようか。」と思い、どこの大学にしようかと考えていたところ、予備校で隣の席だった心配症の同級生に、「僕はこのままならおそらく志望校のS大学(旧帝大)・医学部に合格すると思うけど、絶対合格したいから1ランク下げてA大学(地方国立大学)の医学部を受験しようと思う。ただ、生まれてから一度も他県に行ったことがなくて怖いから、一緒に付き添ってほしい」と言われました。どのみちA大学の受験日にひまだった僕は、「いいよ、A大学まで着いて行ってあげるよ。」と伝えると、「一緒に受験してほしい。」とその同級生から言われたのです。そのため僕は、A大学・医学部に願書を提出することになりました。

こんな流れで、僕は友人の付き添いでA大学・医学部を受験することになったのです。

僕はA大学受験前に本命の早稲田・慶応大学の受験を済ませており、手ごたえを感じていました。「きっと合格しているだろう。」と感じていたので、A大学の受験には気楽に挑むことができました。

その結果・・・・
僕は本命の早稲田・慶応大学は不合格、付き添いで受験したA大学・医学部のみ合格、
となったのです。

この結果は当時とてもショックでしたが、これ以上勉強する気力が全く残っていなかった僕は、浪人して早稲田・慶応大学受験に再チャレンジすることはやめ、A大学・医学部に入学することにしました。    

「僕が医者になるまでの道のり②」に続く

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