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伝えるべきは、学問との”壁打ち”の意味と価値。人文・社会科学を、これからの社会に広げるには何が必要かを考える。

仕事を通じて、よく大学の研究広報のお手伝いをさせてもらうのですが、そのなかで、人文・社会科学の学術知の魅力や可能性をどう伝えるか、みたいなことがテーマとして挙がることがあります。これといって明確な答えはないのですが、今回は備忘録も兼ねて、このテーマについて現段階での考えをまとめてみようと思います。なお、人文・社会科学の魅力というと、言い出すとほんとキリがないので、今回は、社会にとって、もっと具体的にいうと、人社の特定の学問について取り立てて興味があるわけではない個人にとって、どういう魅力があるのか、みたいな視点で書かせてもらいます。

まず、人社の魅力としてよく言われていて、私もそうだなぁと思うことに、自然科学が課題解決に役立つのに対して、人社は課題発見に役立つ、というのがあります。自然科学が課題解決に役立つというのはまさにそうで、食糧難しかり、エネルギー問題しかり、工場のオートメーション化しかり、これらを解決するうえで、自然科学の活躍は大いに期待できます。課題解決に役立つというのは、少し視点を変えると、解決された先のビジョンが見えている課題。そういったものに対して、自然科学は得意というか、とてもいいパフォーマンスを発揮する印象があります。

一方、人社は、解決された先が見えていないものを考えたり、またはそもそも課題なのかどうかを見極めたり、もっというと、ぜんぜん意識もしていなかったところに課題があるのではないかと問いかけたりする、そんなことをするときに役立つように思います。それで、この課題というのは、世界レベルのものもあれば、私たちが生活しているコミュニティレベルのものや、個人レベルのものもあります。実際、これらは区切られているわけではなく、不可分につながっているものではあるのですが、どこをフォーカスするにしろ人社の知見は役立つように感じています。

それで、社会一般の人の視点に立って、こういった人社の知見をあらためて捉えるとすると、ものすごくざっくりと言ってしまうと、これって“よりよく生きるための気付きにつながるヒント”だと思うんですね。そして、こういったヒントは、誰かに言われたからといって、すんなりと身体に染み込むわけではありません。咀嚼したり、舐め回したりして、自分なりにそのヒントから何かを気付かないと、意味のあるものにならないと思うのです。

じゃあ、その気付きはどうすればできるのかというと、これも平たい言葉でいうと“壁打ち”することによってできるのだと思います。カッコよくいうと、対話、といってもいいかもしれません。

自分の悩みをぶつけ、戻ってきた答えをキャッチし、さらに投げ返す。これを繰り返すことによって考えが徐々に整理されていき、自分が何を考えていたのか、求めていたのか、悩んでいたのか、などなど、が見えてくる。これが壁打ちです。リアルに研究者と話すだけでなく、講演や講座を聞いたり、書物を読んだりして、そこから自問自答をすることも壁打ちになります。

自問自答するために壁にボール(考え)をぶつけるのなら、別に人社の学術知はいらないのではないか? 会社の先輩にでもお願いして話を聞いてもらえば、それでいいんじゃないの? そんなことを思う人がいるかもしれません。でも、見慣れたオフィスの壁(=会社の先輩)にボールをぶつけることに意味はあっても、それだけではわからないことって、けっこうあると思うんですよね。

エジプト・ピラミッドの壁面(歴史学者)であったり、スラム街の落書きいっぱいのビルの壁(社会学者)だったり、ナウマンゾウの化石が埋まった岩壁(考古学者)だったり、場所にも時間にもしばられず、さまざまな壁にボールを投げるからこそ、これまで考えもしなかった気付きを得ることができる。そして、それは些細かもしれないけど、とても有益で贅沢なことではないか。私はそのように思うし、それこそが、社会一般の人にとっての人社の魅力だと思うのです。

シンポジウム、講座、授業、動画、書籍、論文など、少し探せば世の中にはたくさんの“壁”があります。これら壁を見たときに、自分とは関係のないものだと反射的に判断してしまう人がたくさんいるように思います。でも、その学問に興味がなくても、そこから知り得る、あなたの人生にかかわるヒントについては興味を持つはずです。

壁だけでなく、壁打ちという社会一般の人たちと人社とのかかわり方や、ヒントを得る方法を伝えていくことで、人文・社会科学の価値はまた見直されていくのではないでしょうか。人文・社会科学の研究者たちを取材するなかで、そういったことを強く感じるようになっています。

もちろん、人文・社会科学の一つの側面だけをフィーチャーしてしまうことで、正しく学問の価値や魅力が伝わらなくなってしまうのでは……という危惧もないわけではありません。でもそうは思いつつも、まずは身近に人文・社会科学を感じるための方法として、”人社との壁打ち”をもっと積極的に社会に伝えたいと思うのです。例として正しいかどうかは微妙なのですが、いくら美味しい食材でも、調理の仕方がわからなければ、結局のその食材の価値を広めることはできません。であれば、多くの人に興味を持ってもらいやすい調理方法を広め、そこから食材の価値を伝えていきたい。そういうアプローチが、人文・社会科学の学問の価値を、伝え、広めるうえで、今、必要なのではないかと考えています。

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