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奈良県立大学の濃ゆい教育プログラムから考える。大学が社会に向けて教育プログラムを実施する意図と意義。

大学だけでなく企業や自治体など、いろいろな組織が社会人向けの教育プログラムに取り組んでいます。では、そのなかで、大学のプログラムにはどういう特徴があるのでしょうか。今回、見つけた奈良県立大学の教育プログラムは、この問いに対するわかりやすい答えの一つなのかなと思いました。また、これをきっかけに少し考えてみたのですが、どういう公開講座が大学にとって正解なのか、というのは、けっこう悩ましい問題なのかもしれませんね。

何はともあれ、まずは奈良県立大学の教育プログラムの内容を見ていきましょう。これがどのような取り組みなのかというと、同プログラムを伝えるリリースによると、下記のように書かれています。

地域創造研究センター撤退学研究ユニットはこのたび、これからの人生を考える学びの場「山岳新校」を創設する。これは、「加速する社会からの撤退」をキーワードとした取り組みで、豊かな自然と歴史文化が根づく奥大和地域において「みちのり」(2022年10月)、「山學院」(2022年12月開催)、「芸術学校(仮)」(2023年度実施予定)の3つの教育プログラムを展開。「学びとは何か」「人生とは何か」など、生き方について考える。

奈良県立大学プレスリリースより

撤退学研究ユニットというフレーズに非常に惹かれるものの、説明を読んでも、ほぼ何をするのかがわかりません。リリース後半にもう少し説明があるのですが、それでも、かなり抽象的です。たとえば「みちのり」は、学ぶこと、働くこと、楽しむこと、つながること、支え合うこと、といった営みが乖離しない生き方を探る、学びのコミュニティだと書かれています。うーん、わからん…。

ちなみに、奈良県立大はエッジが立った教育プログラムが多く、「実践型アートマネジメント人材育成プログラム CHISOU」なんかもだいぶと尖っています。このプログラムでは、最近だと、国の重要無形民俗文化財に指定されている奈良県十津川村の「大踊り」の体験学習を実施しているし、昨年だと音響空間を設計したりオリジナルスピーカーをつくったりと、まるで芸大のようなプログラムを開催しています。

こういう言い方をすると怒られるかもしれないのですが、なんとも得体の知れない感じがして、そこにすごく興味がわきます。これらが、よくわからない団体が主催しているのであれば、二の足を踏むどころか、後退りしてしまいそうなのですが、大学という信頼できる組織が主催していることで、謎めいた雰囲気が魅力になるのだと思うんですね。

大雑把に言ってしまえば、大学の社会人向け教育プログラムは、仕事に役立つ実学路線のものか、知らない世界を知る教養系のものの2つに大別されるように思います。前者であれば、誰にどのように役立つかがわかってこそプログラムの魅力が伝わります。一方、後者は、わかりやすさも大事かもしれませんが、それよりも、好奇心をいかにくすぐるか、とか、知らない世界に触れられそうか、とか、のほうが大事なように思うのです。もちろん、こういった具体性のない期待に応えるのはそう簡単なことではありません。だけど、こういうアプローチは大学だからこそできることですし、多様な分野の専門家が集まる大学であれば、これら期待にも比較的応えやすそうな気もします。

また、こういった(いい意味で)得体の知れない教育プログラムってすごく魅力的なんですけど、情報を広げるのが難しそうです。内容がわかりにくいので、検索されにくいというか、検索しようがないんですよね…。たとえば、「山岳新校」であれば、「加速する社会からの撤退」がキーワードなのですが、「撤退」とか「山岳」とかで検索する人のニーズと、この教育プログラムが合っているのかというと、なかなかそうではないでしょう。

こういったプログラムは、検索経由でまったく知らない人が偶然見つけるということは考えにくいので、人づてにじわじわと広がっていくことで認知拡大していくのが現実的なように思います。広告を打つという方法もありますが、大学の社会人向けプログラムは費用が限られているし、たとえ打てたとしても、プログラム内容が不明瞭なので効果は発揮しにくそう。とはいえ、個性が強く替えがきかないので、一度、受講生に気に入ってもらえれば、繰り返し受講してもらいやすいし、ファン化して人にすすめてもらえる可能性も一般的なプログラムに比べると高いのではないでしょうか。このように考えていくと、単発で実施してもあまり意味がなく、毎年開催するなどレギュラー化してこそ意味のある取り組みなのではないかと思います。

尖りまくった教育プログラムを長期で運営するというのは大きな決断です。とはいえ、多くの大学が実施しているのと同じような講座やプログラムを実施することに、どれほどの意味があるのか?という考えもあります。近隣住民にとっては、オーソドックスな講座を無料ないし比較的安価で受講できるというのはメリットです。でも大学からしてみたら、それによって大学の個性が際立つわけでもないし、収益面で大きなプラスになるわけでもありません。であれば、方向性をガラリと変えてしまい、大学の考えやブランド価値を体現した濃ゆいプログラムをつくり、長期的に運営したほうがいいのではないかという気もしないでもありません。でもそうなると、マジョリティーの興味に沿ったものではなくなる可能性が高いので、近隣住民にとってはうれしくないものになる可能性もあります…。

とまあ明確な答えはないのですが、なぜ、なんのために、社会人向けの教育プログラムを実施するのかを突き詰めていくと、尖りまくった得体の知れない教育プログラムを実施するというのも、一つの考え方としては十分にありなように思います。チャレンジングな取り組みも、主催が大学であれば安心して参加ができます。大学の地域貢献に属する講座やプログラムは、前年度踏襲で運営されることも多いので、一度、立ち止まって、目的と内容を整理してみてもいいかもしれません。結果、ユニークなプログラムが生まれるのであれば、それはそれでいいことなように思います。

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