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一度だけの季節

先週から、日本を離れてアメリカで生活している。期間限定、たった一年のアメリカ生活だ。

分かっていたつもりだったが、日本育ちの私の目から見ると、こちらは何もかもでかい。空がでかい。スーパーがでかい。借りているアパートも、そう高くはないが部屋がでかい。アパートは公園に面していて、この公園がまたでかい。一面に芝生が広がっていて、真ん中にサッカーのグラウンドが一つあるのだけど、その気になればもう10個ぐらい入りそうだ。その芝生が終わるあたりから森が始まり、舗装された散策路が公園の端まで続いている。まだ家には車もなく、日用品も揃っていないから、毎日森の中を通って、大きな木々(私には小さい屋久杉みたいに見える)を見上げながらでかいスーパーに通っている。

引っ越し前の2、3ヶ月は何かと気忙しくて、正直に言うと、アメリカでの生活を楽しみに思う余裕はあまりなかった。何しろ私の英語は非常にお粗末だし、引っ越し先(現住所)は日本ではあまりメジャーではなくて、『地球の歩き方』にも載っていない。それに、意識して国際ニュースを見ていると、銃撃事件がアメリカ全土でしょっちゅう起こっていて、そのことを考えると憂鬱になった。ほんとに行くの?私が?と何だか実感が湧かないまま、とりあえずパッキングをして、あれよあれよと言う間にたどり着いたような気がしている。

初めて来たアメリカは、しかし、思いのほか居心地がいい。英語はやはりさっぱり分からず、曖昧に微笑んでThank youを言うのがやっとだ。でもそんな状態の住民にも割と慣れているのか、現地の人は結構親切に接してくれる。スーパーに日本食は少ししか置いていないが、それでも醤油と照り焼きソースぐらいは手に入る。何より、森を抜けて買い出しに行く、というシチュエーションが私は結構気に入っている。卵とパン、野菜の入った紙袋を両手に下げて、森の中をひたすら歩く。ふと視界が開けると、日の光を受けて芝生が輝き、その隅に自分の家が見える。まるで、子どもの頃読んだ童話の中にいるような気がするのだ。

一年が長いのか短いのかは分からない。確かなのは、ここで過ごすこれからの季節は、どれも私にとってたった一度きりだということだ。これから来る秋も、寒いと聞く冬も、一年後に日本に帰ると決まっている私には、二度と巡ってこない。

そんなことを考えると、来たばかりなのにもう寂しいような気分になる。あるいは、この土地を包む夏の終わりの空気が、寂しい気分にさせるだけかもしれない。よく分からないけれど、楽しいことも、少しぐらいの嫌なことも、しっかり味わって過ごしたいと思う。

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