見出し画像

私たちにはビジネスホテルがある

1歳半の子どもと2人で、一泊二日の小旅行をした。

大好きな絵本の原画展が近くの大きなまちで開催されていて、どうしても行きたかった。夫は仕事が忙しいし、美術館もあまり好きではない。そこで、子どもと2人で行ってしまおうと思いついた。ちょうど夫は出張の予定が入っていて、数日子どもと2人きりの予定だ。ならば、なるべく楽しく過ごそうではありませんか。

行き先は近場だが、少し緊張した。何しろ帰省以外で子どもと2人で泊まりで出かけるのは初めてだ。何が起こるか分からない。それに、目的地まで車で片道3時間くらいはかかる。いつもなら夫と3人だから、1人がチャイルドシートの隣に座ってあやし続けるけど、今回はその手が使えない。昼寝中に距離を稼ごうと決めた。

結婚前から使っていた旅行カバンに2人分の荷物を詰める。片手で持てるくらいの重さだ。これならベビーカーを押しつつなんとか自分で持てる。ミルクも離乳食も要らなくなったから、0歳児の頃に比べたら随分身軽に動けるようになった。こうやって少しずつ成長していくんだな、とふと思う。案の定、車が動き出してすぐ子どもは寝たので、その間になるべく先を急いだ。途中、ご飯のおいしいSAに差し掛かったけれど、まだ気持ちよく寝てくれているので我慢する。2時間ほど昼寝させて、目が覚めたところで適当なPAに停めて昼食にした。PAの小さな食堂は、仕事の合間に寄ったであろう作業服の男性がちらほらといるばかりで、私たちは結構浮いていた。サラダうどんのお昼を終えて、残りの道のりは子どもの好きなCDをかけて、大声で歌った。歌ったり笑ったりして、子どもは機嫌よく過ごした。

ようやくたどり着いた美術館は、そこそこの混雑ぶりで、ベビーカーを押した親子連れも何組かいた。この雰囲気なら私たちも浮かずに楽しめそう、と思ったのもつかの間、子どもはベビーカーを降りると主張しはじめた。何しろたっぷり昼寝して、元気が有り余っている。降ろすと、1人でどんどん先へ行こうとしたり、かと思えば何やら気に入った展示の前にずっといたいと泣いたり、とてもじゃないが静かに観てなどいられない。元々駆け足で観るつもりだったけれど、ほとんど逃げるように展示室を出た。帰る間際、親切な方が「来るの2回目だから、お母さんが観ている間、お子さん抱っこしていましょうか」と言ってくださって、結局遠慮したけれど、涙が出そうなくらい嬉しかった。

そんなこんなで、ビジネスホテルにたどり着いた頃には、私はかなりへとへとだった。せっかくだから、子連れで行けるレストランでも探すかと思っていたけれど、もうそんな気力もない。子どもを抱っこひもに入れて、やっとの思いで外に出て、近くの店でお好み焼き、パン、サラダと飲み物を買って部屋に戻る。きゃっきゃと逃げる子どもをつかまえて、靴を脱がせて手を拭いたところでため息が出た。いったい私はこんなところまで来て、何をやってるんだろう?絵はろくに観られなかったし、子どもだって別に面白くはなかっただろうし、ただガソリン代とホテル代がかかっただけだ。

でも、備えつけのデスクに並んで座って、切り分けたお好み焼きを一緒に食べていると、不思議と落ち着いてきた。ここは安全で、清潔で、誰からも干渉されない。美しい景色とか、ゆっくり楽しむ食事とは無縁だけれど、誰かが(少なくともさっきまでは)きちんとシーツを敷いてくれたベッドがあって、2人で笑って過ごす時間がたくさんある。それで十分、いい旅行じゃないか。子どもはお好み焼きを頬張りながら、覚えたての「おいしーね」という言葉を何度も繰り返した。

自宅よりも少し広いベッドでしっかり寝て、起きてカーテンを開けると、小さな部屋の中は朝日でいっぱいになった。豪華な朝食ブッフェがこのホテルの売りだったけれど、少し考えて、昨日買った蒸しパンの袋を開けた。子どもはそれはそれは嬉しそうに、大事そうにパンを食べた。立派な食事も観光も、今の私たちにはなくてもよかった。時間も家事も気にせず、ただ2人でのんびりとパンを食べる時間が私は欲しかったのだ。自分の中で、何かを立て直せたような気がした。

これから先、どうしようなく疲れてしまったとき、私の手持ちのカードの中にはビジネスホテルがある。そう思えたのがちょっと嬉しかった。

最後まで読んでくださってありがとうございます。良かったらサポートいただけたら嬉しいです。何かおもしろいこと、人の役に立つことに使いたいと思います。