クリスマスの約束 #パルプアドベントカレンダー2022
私は待っています。あの人を。行ってしまった、帰ってこないあの人を。
ええ、いい人だったとは言いません。頭は良くない、甲斐性もない、世渡りもうまくない。かといって優しい人でもありませんでした。
私がそんなあの人と一緒にいたのに理由なんてありません。ただ、なんとなく、一緒にいた。離れる理由がなかったから、それだけ。
強いて言えばその方が便利だったから。
この街では一人でいるよりも二人でいた方が、生き延びる可能性が高くなります。何かを手に入れるのも少しだけ簡単になります。だからせいぜいそんな理由だったのだと思います。
この小さな棲家を手に入れたのも、二人でいたからです。前の住人は一人だったから。一人ではここに棲みつくのは五分五分の賭けになってたでしょう。
あの人も同じような理由で一緒にいたのだ、とそう思っていました。
あの人が金のためにどこかに行くといった時に、私は驚きました。何かをやるなら必ず私を連れていくと思っていたから。
あの人が頭がよくなくて、甲斐性がなくて、世渡りもうまくないのはよく知っていました。だから「うまい話があるんだ」なんて言ってもうまくいくはずがないってわかっていました。だいたい、そんな馬鹿なことをしないでも、この棲家には住み続けられるはずでした。二人で一緒にいるのなら。
それでも、あの人は「行く」と言って聞きませんでした。「絶対に上手くいくから」と、そう言い張ってこの棲家を出ていきました。「クリスマスには戻るから」そう言い残して。
◆◆◆
俺は、帰らないといけない。あいつの待つ小さな棲家に。
俺は約束をしたのだから。
あいつといるのが幸せだったとは言わない。乱暴でガサツで、口も悪い。一緒にいたのは別れる理由がなかったから、それだけ。
ただ、棲家を手に入れられたのはあいつといたから。あいつが前の住人を油断させたから、簡単に手に入れることができたのだ。俺一人では五分五分の賭けだった。
だから、あいつに楽をさせたくて、俺は危ない橋を渡ることにした。廃棄屑会の事務所にしばらく潜り込んで、金をいくらか盗み出す。そんなに難しい話じゃない。働きたいと言えば身分を調べられることもなく潜り込める。そもそもこの街で調べるべき身分のあるやつの方が少ないのだ。
金の隠し場所を調べ、警備のタイミングを調べ、計画を立てる。完璧な計画だった。そのはずだった。失敗する可能性なんて想像もできなかった。
だからいざ実行に移して、金庫に手をかけた瞬間に会長が現れても、何が起こったのかわからなかった。誰かが密告したのか、俺がなにか下手を打ったのか、それとも単に運が悪かったのか。
屈強な男たちに掴まれて地下の倉庫に放り込まれる。自分の行く末の心配よりも、頭に浮かんだのはあいつの顔だった。
◆◆◆
クリスマスになりました。夜になってもあの人は帰ってきませんでした。私の予想通り。なのにどうしてでしょう、私はなぜだか河原で鳩をとってきて、焼いていたのでした。三本の脚は一人で食べるのには多すぎるのに。
夜はふけて、鳩はすっかり冷めてしまいました。私はため息をついて鳩を保存壺にしまい込みました。明日食べればよい、と考えながら。
こんこんと棲家の扉が叩かれました。
びくり、と体がこわばります。静かに傍らの斧を手繰り寄せます。こんな襤褸屋でも欲しがる人間はたくさんいます。私が一人だと知ったら、好機と考える者がいても不思議ではありません。今まで何度か退治してきましたが、今回もうまく撃退できるかはわかりません。
そっと、息をひそめ物陰に隠れます。耳を澄まし、気配を探ります。青白い月の中、棲家の壁から透ける影は一人分。不意を打てれば勝機はあります。
入ってきたときに頭を一撃。その一瞬を逃さぬよう、目を凝らします。
◆◆◆
尋問はクリスマス明けから始まると言い渡された。尋問係がクリスマス休暇らしい。尋問なんてされても、しゃべることなんて何もない。どうやら鉄拾組の関与を疑っているらしかった。本当は何の関係もないのだけれども。俺は勝手に計画を立てて、勝手に失敗しただけ。だからこそ尋問は終わらないものになりそうだった。
やつとの約束は守れそうにない。それだけが残念だった。別にあいつだって俺が約束を守るだなんて思っていないかもしれないけれども。
それとも、もしかしてあいつは俺を待っていたりするのだろうか。
その時、ふと思い出した。いつか聞いた話。死者の想いはどんな距離も壁も抜けて会いたい人のところへ行ける。そんな話。
倉庫の隅のガラクタの中に、長いロープがあるのが見えた。
◆◆◆
あい、まいどね。
なに? あそこの空き地かい? 長屋があったのなんてずいぶん昔の話だよ。長屋って言っても違法長屋だったしね。
違法長屋は違法長屋さ。無茶苦茶に建てられた棲家。あの辺りに無計画に建てられた掘っ立て小屋の群れ。一つ一つの部屋はほんのちっぽけで、それなのにこのあたりの住人は棲みつこうと部屋を奪い合ってた。
そういえば、あのシマ争いもこの時季だったな。そうそう、クリスマスイブの夜だったけね。なんでも廃棄屑会の事務所に鉄拾組の手下が泥棒に入ったのがきっかけだったとか。その手下も、まあ覚悟決まってたんだろうね、尋問前に自殺したらしいけど。
ああ、前まではこのあたり、廃棄屑会が管理してたんだよ。シマ争いの手打ちでそのまま鉄拾組がとったらしいけど。まあ、抗争で焼けちゃってたからね、どっちにとってもそんなに価値はなかったんだろうさ。
◆◆◆
澄んだ寒さが黒い外套越しに紳士の身を刻んだ。
紳士はおしゃべりなたい焼き屋から買った一尾を懐炉代わりに手の中に持ちながら、ふらりと空地へ向かった。
猫の額のような空き地だった。
入り口には建設予定地との看板が立てられていた。どうやら年明けにはマンションが建つらしい。施工主は鉄拾会。立地は良いので案外繁盛するかもしれない。
ふと、紳士の視界の隅に二つの人影が浮かび上がった。空き地の片隅、ぼんやりと見える人影は一組の男と女に見えた。
男の影の口が「ただいま」と動く。
女の影が男の影を見つめて、「おかえり」と口が動く。
青白い月明かりの下、二人の人影は頷き合ってから腰を下ろし、鳩の足を齧りはじめた。
【おしまい】
この作品はパルプアドベントカレンダー2022のために書かれた作品です。
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