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【映画感想】「ローラーボール」を見た。

 スポーツ映画が見たくなったので『ローラーボール』を見た。
 『銃夢』の「モーターボール」の元ネタかな? と思ったら直接の関係はないらしい。

 正直あまり面白くはなかった。古い映画(1975年)だから、脚本とか演出が今ほど洗練されていないというのがあるのかもしれない。
 もしくはなんらかの意図があってそうしているのかもしれないけれども、僕はそう思った。小説を書くのに生かせるかもしれないのでメモ程度に残しておく。新鮮なうちに。

 作品の中で三回「ローラーボール」の試合が行われる。
 が、ぶっちゃけ絵面が変わらないのでそこで集中力が切れる。
 その三回はその都度ルールが変更されていて、だんだん過激なものになっている。なってはいるんだけど、ひたすら試合は淡々と進んでいくので変わった結果どのようか変化があったのかがわからない。
 ルールの変更を行った黒幕がどうして変更したのか、その変更はどのような結果をもたらしたのかがはっきり表れていない。もしかしたら、僕の映画読解力が不足しているのかもしれないけれども。でも、どの試合も普通に盛り上がってたしなぁ。
 試合を見ている観客たちに変化がないんだよな。ルールの変更された結果、観客が盛り上がっているとも、引いているともはっきりしない。
 これが引っ掛かっている。し、この映画を奇妙なものにしていると思う。
 だれもルールの変更に対してジャッジを表に出していない。
 
 物語は主人公が何かを選択する必要がある。
 この映画においては、主人公は「試合に出続けること」を選ぶ。
 その選択のための障害は「社長(あるいは管理者)がスターを望まないこと」であり、それがルールの変更として現れる。
 という構造なのだと思う。たぶん。
 でも、それについて誰も作中で「良い」とも「悪い」とも判断を下さない。
 もちろんルールの変更について選手が憤る場面とか主人公の元妻が主人王を止める場面はある。けれども、実際の試合の後にルールの変更した結果について語られる場面はない。
 だから、主人公の選択に対する障害である「ルールの変更」がどのくらいの大きさの障害であるのか、映画の観客が理解するのは難しい。
 そのため、主人公の選択がどのくらい重い決断なのかがわかりづらくなっている。
 もしかしたらそのあたりを語らないのが「渋さ」とかなのかもしれないけれども、少なくとも現代の映画ならこの辺をしっかり語るんだろうなーとおもいました。
 あとはまあ「主人公が人気者ってどのくらいにんきものかわかんない」とか「ローラーボールの社会的意義とかどんな社会なのかが言葉で語られるだけで、具体的にどんな位置づけになるのかがわからない」とか「主人公がなんでそこまでローラーボールに打ち込むのかわからない(そのわりに辞めるということに対してはつよく抵抗する)」とか今ならそうしないんだろうなという点はいくつかあるけど、一番大きいのは作中で出来事に対してジャッジが行われていないことだとおもう。
 刺激的な暴力シーンだけじゃ観客の興味を引き続けるのは難しいね。

 この映画から学ぶべき教訓は、「少なくとも今から物語を作るのであれば、出来事に対して必要なジャッジを作中で下す必要がある」ということだ。

 この記事を書くにあたって次のブログを参考にした。

 


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