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【今更】「ジョーカー」と「アメリカンサイコ」、あるいは「出口」について

 ふと、昔見た映画のこ出した。2つの映画だ。一つは「ジョーカー」、もう一つは「アメリカン・サイコ」だ。思い出したことを書く。
 2つとも有名な映画なので、紹介はとくに不要だろう。気になったならビデオ屋に行きたまえ、多分どっちもあると思う。同じ理由でネタバレも有ると思う。今更なので私は気にしないで書く。気になるならビデオ屋に行きたまえ。多分どっちもあると思う。

 この2つの映画、アメリカンサイコの主人公パトリックが別の映画でバッドマンをやっていたり、ジョーカーの主人公アーサーがアメリカンサイコで殺されていたりとなかなか縁のある映画らしいね。けれども今回この2つを並べたのはそういった俳優の繋がりとかではなくて、それぞれ一つの場面がやけに頭から離れなくなったからなのだ。
 
 その場面たちというのはアメリカンサイコのラストシーンとジョーカーでアーサーが病院の前で警察官に話しかけられたあとの場面だ。
 印象的な場面なので覚えている人も多いと思う。
 アメリカン・サイコの方はパトリックの後ろに「This is not an Exit」と書かれた扉が写り込んでいる。対してジョーカーの方は逃げるように病院に入ろうとしてガラス自動ドアにぶつかる。ドアに書かれている言葉は「Exit only」。

 アメリカンサイコはラストの場面だね。弁護士に罪を告白して、けれどもその告白をばかばかしいと笑い飛ばされて、「どこにも行けない」ということが示される言葉だ。
 ジョーカーの方は中盤、母親が倒れて病院の前で待っているとき、警察に数日前の事件のことで問い詰められる。逃げるように去ろうとしてドアにぶつかる。「そこは出口だ」。逆に言えば入り口ではないいうことだ。

 映画の文脈とかは詳しくないのだけれども、初めてジョーカーのこの場面を見た時にアメリカンサイコのラストを思い出したんだよね。正直細かい文言は今調べたのだけれども。でも、この場面はとても似た場面だと思ったんだ。

 パトリックとジョーカーの立場は全く違う。かたやエリートのビジネスマン。かたや精神病持ちの雇われピエロ。同じなのは破壊衝動を持っているということぐらいだろうか。もともと持ってたのかどうかは世の中の分析家の方々に任せるとして、その破壊衝動が発露した原因について考えるとやっぱり二人が似通っているのがわかる。
 ありていに言えば、どちらも孤独によって破壊衝動が発露したのだと思うのだよ。そういう孤独があらわされてるのがこの場面だと思うんだ。
 草原で感じる孤独もあれば、街の人混みで感じる孤独もある。
 パトリックは周りに知人がいても自分を自分と認識してくれるような友人はいない。自分の中にある殺人衝動をあらわにしても誰も気にしない。檻のような交友関係。だから「ここからは出られない」
 アーサーはわかりやすい。職もない。友人もいない。恋人も(おそらく)いない。母親にも裏切られた。つながりというものすべてが断ち切られた。社会から拒絶されている。だから拒否されるようにガラス扉にぶつかって「ここからは入れない」。

 だからこの場面ってのはすごくこの二人を象徴している場面だと思ったんだ。閉塞感というのか、孤独感というのかね。どちらも結局のところどこにもいけない。それはまあ、随分と絶望的なことだと思うよ。

 なんだかふとね、「出口」にまつわるこの二つの場面を思い出した、だからこの記事を書いた。どっちも見たのは随分と前のことだから細かいところに間違いがあるかもしれない。でも、印象に残ってんだよな、この場面。
 なにか思い出したことがあれば、感想なんかもらえると嬉しい。

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