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電波鉄道の夜 85

【承前】

 ぶらりと二つの眼球が垂れ下がった。
「ああ、これも切らないと」
 男は眼窩の眼球を繋ぐ視神経を手探りでつまむと、一本づつ丁寧に眼球から引き剥がした。
 黄色く染まった二つの球体が切り離されて地面に無造作に転がる。
「ええっとこれかな」
 男は眼球を握り込んでいた両手を開き、また手探りで視神経を繋いでいく。布に色水が染み込むような滑らかさで視神経と眼球は結合していった。
 それから男はゆっくりと視神経を眼窩に収めてから、最後に左右の眼球を同時にぐっと押し込んだ。
 あっけないほどスムーズに眼球の交換は終わった。男は一度ぎゅっと目をつむり、それから二、三度ゆっくりと瞬きをする。また目を閉じて、そのまま動きを止めた。
「どうですか?」
 訊ねてみる。眼球を渡した手前、どうなったか知る必要があるように思えた。男は目を閉じたまま少しだけ首を振って答える。
「恐ろしいのです」
「何がですか?」
 男の声はひどくおびえた声だった。
「目を開けることが」
「そう、ですか」
 男の言葉の意味が掴めず、曖昧な相槌を返す。
「こうしていざ目を替えてしまうと、恐ろしくなってしまったのです。これから私が見る世界は本当に私が見る世界なのでしょうか」
「どんな目でもあなたが見るものがあなたの世界でしょう?」
「けれども、見る目が違えば、見えるものも違ってしまうかもしれないじゃないですか」
 男は目を両手で覆い、空を仰いだ。
「それなら、元に戻しますか? あなたの目はまだそこにありますよ」
 今までの男の目は男から切り離されて、輝きを失い、ただの黄色い球体になって地面に転がっている。けれども、まだ目としての機能は保っているはずだ。
「いいえ」
 男は天を仰いだまま言った。
「私は目を替えると決めたのです。決めたから目を替えたのです。それに後悔はありません。ただ」
 少し黙ってから口を開いた。
「ただ、恐ろしいのです。目を開く勇気がない、それだけなのです」

【続く】

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