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電波鉄道の夜 39

【承前】

 その祝詞はいつか聞いた時よりもいくらか優しい声に聞こえた。
 足音が近づく。ずりずりと何かを引き摺る音も聞こえる。車掌さんだ。
「あ」
 女の子が飛び上がるように立ち上がった。
「こぬさきうれぁすんで」
「車掌さん」
 祝詞を遮って、女の子が叫ぶ。車掌さんの暗い目が、じっと女の子を見つめる。女の子は揺れる床を踏みしめ、目を逸らさず口を開く。
「わたし、ここでおります」
 きっぱりと、決意のこもった声だった。二人の視線がぶつかり合う。車掌さんは答えない。女の子もそれきりなにも言わない。
 沈黙が車内に満ちる。
 視線を逸らしたのは車掌さんの方だった。床に視線を落とし、首を振る。
「そういうわけにはいきません」
「でも」
「走り出した電車は、次の駅に着くまで止まらないのです」
 車掌さんはゆっくりと言う。
「では、次の駅で降ります。どのくらいですか?」
「まだ、随分と先ですよ」
「そうですか」
 短い沈黙。車掌さんが口を開く。
「運賃はもう頂いています。もっとずっと先までの分を」
「いいのです。この先にはきっとわたしの探すものはないのです」
 女の子はそう言い切る。また沈黙が流れた。
「本当に、良いのですか?」
 少しのためらいを見せてから、車掌さんが改めて尋ねる。
「はい。良いのです」
 女の子は頷く。
 車掌さんは目をつむり、黙り込む。しばらくそうしてから目を開く。顔を上げ、じっと女の子の目を見る。
「わかりました。では、次の駅で」
 そう言って、振り返ろうとして、ためらい、向き直る。そして「けれども」と付け加える。
「まだ、時間はあります。よく考えてください。電車が止まるまでは降りることはできないのですから」
「はい」
 女の子が頷くのを見て、車掌さんはずりずりと歩いて去っていった。
「ふう」
 ため息をついて女の子が座席に腰を下ろす。ぎしりと草臥れた座席が音を立てる。
「本当に行くんだね」
「ええ」
 おばあさんの問いに女の子は頷いた。
 

【続く】

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