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電波鉄道の夜 120

【承前】

 眩いヘッドライトに目が眩む。光の中に赤いリボンが照らされる。
 身体が動いていた。酷く緩慢な時間の流れ。女性を突き飛ばす。赤い布が、女性の体が闇に消える。光が大きくなる。闇を切り裂いて。輝く眼光。大きな汽笛。耳が痛い。耳を塞ぐよりも速く、光は眼前に迫る。
 世界の割れるような音がした。
 それから、静寂がやって来た。耳の痛くなるような静寂だった。鼓膜が破れたのかと思う。
 ドクドクと自分の鼓動が聞こえる。
 尻もちをついた尻に、地面の手触りを感じる。全身の筋肉が強張っている。強張る筋肉は粉々にならずにまだ体を構成している。挽肉にはなっていない。
 息を吐く。息を吐ける。まだ生きている。
 ゆっくりと立ち上がる。膝が指が細かく震えている。
「きぇんのぉしらっつぇるいんごぅおずすんしたあめかんねむかうしんぉごこなっつぇます」
 静寂の中に祝詞が聞こえた。罅割れていない平坦な声。音もなく光の中に小柄な影が現れる。
「電車の前にいるのは危険ですよ」
 静かな声だった。ヘッドライトの逆光の中で暗い目がゆらりと輝いた。
「車掌さん?」
 震える肺が声を絞り出す。
 ようやく目が慣れてくる。制服のシルエットには見覚えがあった。その後ろにずるずると引き摺られているたくさんの袋にも。
「ああ、お客さんですか」
「どうしてここに?」
「乗りますか?」
「乗れるのですか?」
 暗い目がじっと僕の目をのぞき込む。
「乗りたいのであれば。あなたも」
 ぐるりと車掌さんは振り向いた。ヘッドライトの光の外、暗闇の方へ。目を凝らす。女性がしゃがみこんでいる。
「あたしは……」
 女性は戸惑い口ごもる。頭にはまだ赤い布が揺れているのが見えた。
「どこに行くのかはわかりませんけれど、きっとどこかには着きますよ」
「お姉さんのところにでも?」
「僕はいろんな人に会いました。この電車に乗っていれば、いつかお姉さんにも会えるかもしれませんよ」
 僕は手を差し出した。

【続く】

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