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電波鉄道の夜 114

【承前】

「そんなもの、放り投げてくれば良かったのに」
 驚いた顔で女性は言う。
「大切なものなんでしょう」
「だからだよ」
 言葉とは裏腹に女性の目は箱に釘付けになって動かない。僕は箱を女性の手に押し付ける。
「この小屋がなくてもこれがあればお姉さんも気がつくはずです。そうでしょう?」
「そうかな」
「そうですよ」
 揺れる目を見つめて言い切る。なんの根拠もない。それでも自信のあるふりをする。
「いつかお姉さんに出会ったら、それで手当てをしてあげればよいのです。そうすればきっとあなたを思い出すはずですよ」
「ああ」
 女性は恐る恐る箱を手に取った。クナイを地面に置き、側面の傷を撫でる。
「いこう」
 女性は屈んだ姿勢に立ち上がった。その顔にさっきまでの怯えた感情は見えない。辺りをうかがう。
 ばきりと音がする。振り返る。扉の残骸が砕かれた音だった。亡者たちは音の方に群がっていく。
「今だ」
 僕と女性は頷きあって動き出す。略奪の速度より遅く、けれども確実に少しずつ。かつて壁があったあたりまで。もう何もない。欠片の一つも残さず奪い去られている。僅かな境界が残るだけの一角にもう一人も興味を示さない。
 息を詰めて夜の闇の中に身を隠す。女性が小声でたずねる。
「あいつら、夜目は効くのかな」
「どうでしょう」
 わからない。あの暗い目が光を必要とするのかどうかさえわからない。昼間と変わらず見えても不思議ではない。闇の中の方がよく見えたとしても。
「あちらに行こう」
 女性が生い茂った木立を指さした。逃げるには良さそうではあった。黙って頷く。音を立てないように這い進む。
 女性が少しだけ後ろを振り向いた。
「もう、あの小屋には戻れないんだな」
「ええ、きっとしばらくは」
「いや、もう戻らないさ」
 女性はそう言って小屋に背を向けた。箱をお腹のところに抱える。
 がさり、と音がした。
「ヴぃてぎまぐぉあ」
 罅割れた声。暗い目が僕たちを見下ろしている。

【続く】


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