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電波鉄道の夜 4

【承前】

 灰色の目が大きく開かれる。僕の後ろを見つめている。
 ずるりずるりと引きずる音は大きくなり、時折ゴン、ゴンとなにかにぶつかる音も聞こえる。焦げ臭い煙の匂いの中に、地下水道のような生臭い匂いが混ざってくる。
「じょっさけんぉのごゔぉっいおねぎぇいたしゃす」
 祝詞が近くに聞こえた。
 いつの間にか車掌さんが後ろに立っていた。背の低い、影のような車掌さん。右手に幾つかヒトガタを引きずっている。乗客だったものだろう。ごんごん、という音はあれらが座席にぶつかる音だったのか、と得心する。
「じょっさけん」
 車掌さんが呟く。闇色に輝く瞳が僕の目をじっと見つめる。目を通して頭の中まで覗かれるような光る瞳。
「なるほど、それは良い切符のようです」
 ペーパーレス化の普及は本当のようだった。車掌さんは小さく頷く。
 けれども、と車掌さんは女の子に向き直る。じっとその灰色の目を見つめる。
「そちらは枚数が……」
 車掌さんの言葉は女の子の右の拳が顔に突き刺さって中断された。短い踏み込みながら足首、膝、腰、背骨、肩の回転を連動させた鋭い突き。やや打ち下ろすように放たれた突きに車掌さんは衝撃を逃がせず座席に倒れ込む。
 驚いて女の子の方を見る。女の子は何も言わずに振り返り、走り出した。座席の間をすり抜け、揺電車の揺れをものともせず、重力を感じない軽い足取り。隣の車両の扉の方へ。
 横たわる車掌さんをちらりと見る。微動だにしない。車掌さんも、右手に引きずっていたヒトガタたちも。
 「じょっさけ……じょっさけ」
 うわ言のように祝詞を呟いている。このままにしていては良くないとは思う。
 けれども
 顔を上げる。女の子は隣の車両に消えようとしている。
 今あの背中を見失って、いつかもう一度追いつくけるだろうか。あのモネが本当のモネじゃなかったとしても。
 遠くの背中を見つめる。立ち込める煙の向こう、燃えるような髪飾りが揺れる。
 
【続く】

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