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電波鉄道の夜 117

【承前】

「え」
 男は間抜けな声を出した。手の中に飛び込んできた箱を所在無げに見つめる。
「ほしいんだろ、やるよ」
「みざ」
 曖昧な相槌。振り上げた拳の降ろしどころをなくした様子。居心地悪そうに箱を捻り回す。
「それで満足したらよ、もう悪いことはすんなよ」
 女性はそう言って再び歩き出す。男たちは追ってこない。追ってくる理由をなくしてしまったから。
「あ」
 男の声が聞こえた。僕はちらりと声の方を見た。略奪の火に照らされて男の暗い目が手の中の箱と女性の背中を交互に見つめているのが見えた。
「こむさ……ごむざ」
 小さく揺れる言葉を呟く。女性は気にせず足を進める。
「おじょうさん」
 叫び声が聞こえた。澄んだ声。懇願する声。
「知り合いですか?」
 追いかけて問いかける。女性は首を振る。
「さあね、何を言っているのかわからないよ」
「ごおぬばん」
 男の声がなおも聞こえる。声は再び濁って意味を失ってしまっていた。悲痛な叫びが僕たちの背に投げられる。投げられ続ける。けれども女性はもう振り向かない。ただまっすぐに進んでいく。
「いいんですか?」
「何がだ?」
 女性は前を見たまま答える。
「なにか知っているような様子でしたけど」
「もうなにも言えないさ、あいつは。何を言っているのかもわからないのだもの」
「そうですね」
 かすかに女性の瞳が揺れる。後ろを振り向こうとするように。けれども搖れたのは瞳だけ。顔は前を向いたまま、足を止めることもなく、暗闇の中を歩いていく。
 僕は黙って女性の後ろをついていく。
「お前はどうするんだ?」
 女性が背を向けたまま問いかけてきた。言葉に詰まる。
「僕も行きます。探しに」
「そうか」
 短い返事。少し間があく。
「誰を探すんだ?」
「わかりません」
「そうか」
 女性が頷く。
 しばらく黙って並んで歩く。
「ああ、そうだ」
 突然、思い出したように女性が立ち止まった。
「これ返しておくよ」
 差し出されたのは赤い布飾りだった。

【続く】

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