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電波鉄道の夜 30

【承前】

「お二人の目はもう決意を固めた目でした。私を信頼してくださっている目。私はこの身に換えてもを生き延びさせなければ、と思いました」
「ええ、わかっています」
 男の子はじっと黙ってから「今では」と付け加えた。
「あの時はわかりませんでした。先生の考えも、お父様たちの考えも。どうして別れなければならないのか。本当に、危ないのはわかっているのに。別れたらもう二度と会えないかもしれないのに!」
「あの時はそうするしかなかったのです。そうするのが一番良かったのです」
「わかっています。今ではちゃんとわかっているのです。だから……」
 男の子はじっと先生を見つめた。
「ありがとうございました」
 先生は目をそっと伏せて答えた。
「やるべきことをやっただけです」
 先生はそれだけ言って黙り込んだ。男の子も何も言わない。
「それで、とりあえず3人は生き延びたってわけだ」
 沈黙を破ったのはおばあさんだった。
 二人の黙り込んだ顔を交互に眺めながら、場を取り繕うように喋り続ける。
「そのボートに乗って、どうにかこうにか妹さんとも巡り会えて、この電車に乗れて。良かったじゃないか。そうだろう。きっと、お父様とお母様もどこかにいる」
「ええ、きっとそうですね」
 男の子は短くそう言った。そして窓の外を見た。
「なにか、気になるのかい?」
「覚えていないのです」
 いささか唐突に男の子は言った。
「なにをだい?」
「妹とどこで出会ったのか」
「それだけ夢中だったのだろう? よくあることさ」
 男の子は窓の外をじっと見つめている。
「どうしたね?」
「なにも、覚えていないのです。ボートに乗って、人混みの中、空が黄色くて、黄色い光が降り注いでいて、光は目を焼くほどに輝いていて、目にいや、脳みそに焼き付いていて、焼き尽くして、洗っても洗ってもまだとれない。ほら、あの光だ、 あの黄色い光が」
 そう言って、男の子は指さした。何もない暗い空を、目を見開いて。

【続く】


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