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電波鉄道の夜 61

【承前】

「行っちまったな」
 男の人が空になった座席を見つめて、ぽつりと言った。
「本当に良かったんでしょうか」
 別段、尋ねるつもりはなかった。けれども問いかけが口から漏れるように転がりでた。男の人は横目で僕の顔を見た。
「まあ、座りなよ」
 男の人に促されて、座席に腰を下ろす。男の人の斜向かい、女の子の座っていた席。少しだけ温かい気がする。きまりが悪くて座席に着いていた手を膝の上に置きなおす。
「なにか言い足りないことでもあったのかい?」
「いえ」
 一度否定してから、もう一度首を振る。
「あったのかもしれません」
「色々と熱く伝えれてたじゃないか」
「僕の伝えたいことが、伝えられた気がしなくて」
「伝えたいことをそのまま伝えられることなんてごくごく稀なことだぜ」
「そういうことではなくて」
 したり顔に少し苛立ちが生まれる。ふとあらためて男の人を眺める。
 この人の中にモネはいるのだろうか。
 あの街から遠く離れて、もう電波は届かない。
「モネが、言っていたんです」
「モネ?」
 案の定、男の人は聞き慣れないという反応を返してきた。
「モネはアイドルです。僕の……僕達の非実在の」
「ふむ」
 男の人が曖昧に頷く。ぴんとは来てない表情を浮かべている。
「それで、そのモネ、さんがなんて言っていたんだい?」
「それがわからないのです」
「ふむん」
「なにか、こんな時に言うのがぴったりな言葉を言っていたはずなんです。そんな気がするんです。でも、なんて言っていたのか、それが思い出せなくて」
 なるほどと男の人は頷いた。黙って考え込む。影のように曖昧な乗客の一団が乗り込んできて、ガヤガヤと座席の脇を通り過ぎていった。横目で見送るうちに、一団は開いている席を見つけたらしく、席を決め荷物を網棚に上げたりし始めた。
「もしかして、それは」
 出し抜けに男の人が口を開いた。少しだけ躊躇っているようにも見えた。
「そんなこと何も言ってないんじゃないかい?」

【続く】


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