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手口兄妹の冒険 vol.2

【前】

 倉庫の中

「今後も、良い取引が続くことを期待していますよ」
 取引相手の男は笑って契約書を鞄にしまった。爬虫類のような笑み。今後この関係は良い結果をもたらすだろうか。クニハラの胸の内に暗い不安がよぎった。十分に考え、裏もとった。
 それでも大きな決断をしたときにはいつも本当に良かったのかという疑念が残り続ける。組織のボスには向いていないのではないかと思う。
 向いてないからといって抜けられるものではないが。
「ああ、こっちもそう願うよ」
  せめて外面だけでも、と胸を張る。浮かべた笑みはちゃんと不敵に見えているだろうか。
「最初の被験者は誰にします? お試しなら適当な下っ端にしときますか? それでも、料金は一人分いただくことにはなりますが」
 男は軽い口調で続ける。
「こちらとしては今の一線級を改造して、特別級にすることをお勧めしますね」
 投げかけた目線の先には外へつながる扉。舌なめずりを浮かべそうな顔。
「もちろんどんな雑兵でも十分な戦力にすることはできますが……素体の性能が良ければそれだけ結果もよくなりますからね」
「ああ、どいつを選ぶかはもう少し待ってくれ」
 クニハラの言葉に男は表情を変えずに頷いた。
「ええ、構いませんよ。我々はいつでも待っておりますので」
 男の言葉を聞いて、クニハラも表情を変えないように注意しながら考え込んだ。
 誰を選ぶべきだろうか。今日連れてきた二人、サナダとアイモトはクニハラの組織のトップともいえる二人だ。男の言葉が半分でも本当ならば、どちらかあるいは両方を被験者にするべきだろう。そうすればこの町におけるクニハラの勢力は随分と大きくなるはずだ。
 しかし、と生じた迷いは外から聞こえた物音に中断された。
「何だ?」
「どうかしましたか?」
 男には聞こえていないようだった。クニハラは男を一瞥して尋ねた。
「今日のところ、やることは済んでんだな?」
「ええ、おかげさまで」
「じゃあ、裏から帰りな」
「どういうことです? 親分さん」
「客だ」
 クニハラがそう言うのと、扉が崩れ落ちるのは同時だった。クニハラはとっさに瓦礫の山に男を押し込んだ。
 穴だらけになった扉の残骸が地面に落ちる。雨音が強くなり、むっとするドブの湿気が廃倉庫に流れ込んでくる。
「おやおや」
 現れたのは半透明のレインコートを着た男だった。
「誰だ? てめえ」
「旦那さん、男の人を見ませんでしたか? 目つきの悪い男なんですが」
 クニハラの誰何の声を無視して、侵入者が質問を尋ねた。大きくはないのに雨音に紛れない嫌に通る声だった。
「おれも目つきが悪いとはよく言われるが」
「そうですか」
 クニハラの韜晦に侵入者は感情のこもらない声で答える。そのまますたすたと、クニハラの方に近づいてくる。その足取りは一切のこわばるところのない脱力した足取り。
「おい」
「ドブンブレラ」
 侵入者はぽつりと言葉を漏らした。言葉はクニハラの耳に入り、ぴくりとクニハラの目を動かした。男を押し込んだ瓦礫の方に。
「知っているみたいですね」
 侵入者の言葉にクニハラは胸の内で舌打ちをする。鎌をかけられたか。
「だったらどうだってんだい」
 すらり、と懐から二振りのナイフを抜く。ドブ鍛冶屋に打たせた特注品のナイフ。この町に存在するほとんどの刃物より頑強な刃物。ナイフを構える。
 ようやく、侵入者は足を止めた。警戒するように顔を上げる。
 フードをかぶったその顔に、大きな口が描かれたマスクが見える。どどめ色に薄汚れたそのマスクには鮮明な赤い汚れがこびりついていた。
「オモテに若けえ衆がいなかったか?」
「さあ、どうでしょう」
 部下の結末を察したクニハラの声に、侵入者は素気のない声を返す。クニハラは急沸した血液を意識して抑える。冷静を保ち、怒りを四肢にいきわたらせる。
「あなたに用はないのですが」
「お前に用が今できたのさ」
 クニハラの言葉に侵入者は目を上げる。クニハラはその目を見て息をのんだ。ドブを煮詰めた濁った眼。クニハラを見つめているようでどこも見ていないような異様な目。体から嫌な汗が噴き出るのを感じる。
 この稼業について数十年。殺し合いも、命の危機も数えきれないほどしてきた。今ほど嫌な感覚を覚えたことはあっただろうか。
 悪寒を振り払う。一歩踏み出す。
「親分さん」
  背後から声がかかった。
「隠れてろ」
 振り向かずに声を投げつける。
「そういうわけにも、行かないようですね」
 瓦礫から姿をあらわし、取引相手の男が言った。侵入者の目が男を捉え、すっと細められる。
「どうやら、私に用があるようですので」
「話し合いに来たんじゃないようだがな」
「ええ、ですから、です。これを」
 何かが地面を滑る音。続いて足に何かがぶつかる。目線だけで振り返る。男の投げたカバンだった。
「どういうつもりだ?」
「契約は成立しています。わが社は取引相手が減ることを快く思いません」
「死にゃあしない」
 クニハラの言葉に、男はため息をついた。ポケットから何かを取り出す。
「わかりました、あなたたちの言葉で言うとこうでしょうか」
 男はにやりと口角を上げて続ける。取り出したのは薬剤の入ったシリンダーだった。
「貸し一つ、です」
 男はシリンダーを首筋に突き刺した。
「なんだ?」
 クニハラは驚きの声を上げる。男の体が膨れ上がった。身にまとっていたスーツが爆ぜる。体中の筋肉がメキメキと音を立てて膨張する。青白かった皮膚が硬化し、緑がかった装甲のような鱗が浮かび上がる。
 ばしん、と長く伸びた太い尻尾が廃工場の床を叩いた。
「ドブンブレラ社の改造兵士、リザード型です。どうぞ御贔屓に」
 トカゲ男と化した男の、大きく裂けた口からシューシューと空気の漏れるような声で名乗りが上がる。
 クニハラはトカゲ男と侵入者を一瞬だけ、見比べた。
「そうか」
 一言だけそうつぶやくと、カバンを拾い、出口へと向かった。
 侵入者は反応しない。ただ一心にトカゲ男を見つめている。
 ゆっくりと扉の残骸を避け、廃倉庫から出る。ドブ臭い雨がたちまちクニハラに降り注いだ。走ることなく、堂々とクニハラは廃倉庫を立ち去った。

「それで、あなたはなんなんですかね」
 クニハラの背中が雨霞に消えてから、トカゲ男は侵入者に尋ねた。
「想像はつくだろう」
「さあ、どうでしょうね」
 侵入者はここで初めて身構えた。両掌を突き出すようにトカゲ男に向ける。その掌をみてトカゲ男は薄く残った瞼を軽く細める。
「どこの失敗作かは知らないけど、回収は外回りの仕事でね」
  その両の掌には牙の並んだおぞましい口が張り付いていた。
「回収、できるもんならやってみな」
 左の口が蠢き、喋る。
「ああ、そのつもりだよ」
 トカゲ男の太い尻尾が荒々しく倉庫の床を叩いた。

【つづく】 

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