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ホテルnoteに至るまで

こんにちは、ホテルマンのズッキーです。
今日は私がホテルを好きになったきっかけを書いていこうかなと思います。

憶えている限り、自分の記憶に残っている最初のホテルは2才のスペイン・マジョルカ島です。当時は、父親の仕事の都合でドイツに居住していたことからヨーロッパ各国へよく旅行にいってました。とはいえ、今となっては昔の写真を見なければ思い出せないことがほとんどで、むしろ今経験したい!と思っています。もっと憶えていればよかった・・・
そんな中、マジョルカ島のホテルはプールの印象が強く、朧げながら記憶に残っています。特別、何かトラブルや印象に残る出来事があったわけでもないのですが、プールサイドの景色や、両親の姿ははっきりと憶えています。

初めて、自分で予約したホテルは高校生の夏休みに友人らといった熱海のホテル。その後、大学時代はスキューバダイビングに熱中していたので国内外のホテルを価格・立地・サービスなど様々な観点から利用していました。

今思うと、当時の旅行スタイルは「街に出て、その国やその土地でしかできないことを経験する」というもので、観光やスキューバダイビングで1日の大半を過ごしていました。当然、ホテルでの食事など金額も高くて手が出せずいたので、当時の私にとってホテルとは単なる宿泊拠点という位置付けから抜け出せなかった。
当時のホテル選び基準といえば、駅や空港、観光地との距離が短いなど立地的な条件と、価格のバランスが取れたところをOTA等で選んでいました。海外のホテルだと、荷物を安心して預けることなど安心感が加わります。ホテル、という施設が旅行の大部分を担うことを考えたことはなく、ましてや「このホテルに泊まるために旅行に行く」という今の私の考え方に行き着くことはなかったです。どうしても当時は、「旅行=誰と、何を、その土地でするか」が大部分を占めていたことが大きいからでしょう。ホテルでのサービスなんて、あって当然!くらいに思っていましたが、そこまで感動を覚える出来事がなかったことも事実です。

それをググッと変えた出来事は、就職活動を始める前の母親の誕生日です。
母親が、ホテルのブッフェを食べたいということで珍しく初めて見つけたホテルへ出かけた時のことでした。母親の誕生日を口実に、目に付く美味しそうな料理を食べて、その空間を楽しんでいました。デザートも食べて、ある程度ゆっくりした時にウェイターがやってきました。「お母様がお誕生日とお伺いしましたので、ささやかですがデザートプレートをご用意させていただきました」といって、ウェイターがメッセージ付きのデザートプレートと一輪のバラを母にプレゼントしてくださったのです。家族全員が「えっ?なんで知ってるの?」と思ってました。当然、予約時にそんなことは記載していなく、最初の乾杯時に発した「誕生日おめでとう」というワードだけでしたが、それを聞き逃さなかったそうです。そんな特別な空間に母親は感動していました。当然、私たち家族もみんな幸せな気持ちでいっぱいで、帰り道はそんな話をずっとしていました。

目に見えるものから、何が最適なのかを瞬時に見極め、お客さまに笑顔になってもらう手助けをする一流ホテルのサービスに初めて触れた瞬間は、こんなに幸せなのか!と。お客様のことをしっかり考えるサービスのプロになる動機としては、これ以上にないものになり、結果として私はこのホテルの、このレストランからホテルマン人生をスタートさせることとなりました。

そこからは、ホテルに対する見方が大きく変わり「ハード」「ソフト」「マインド」に注目するようになりました。ラグジュアリーホテル、シティホテル、スモールホテル、旅館、宿、どんな形で、どのような魂を持ちながら、どのような手段でお客様を幸せにして居るのか、正解がないものをしっかり学ぶこと意識をすると、ホテルによって面白いくらい異なるサービスが見えてくるようになりました。

それでも、ホテルにとって最後にお客様とお話しする共通のワードは「いってらっしゃい」「またお待ちしております」「お元気で」このあたりでしょう。どれだけ特徴的なハードで、手厚いサービスがあっても、すべてのお客様が幸せになるとは限りません。また、ラグジュアリーなブランドのホテルだけを見ていてもスモールホテルの良さは分かりません。どちらも分け隔てなくすべてを見ないとどちらの良さもわからないでしょう。最終的には、お客様が幸せになって帰路に着くことを望んでいますから。

ここからは、今まで見てきたすばらしいホテルと幸せな経験や、ホテル業界について、これからのホテルについての考えなど、業界全体も視野に入れながら書いていこうかと思います。

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