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没後30年。「尾崎豊と私」〜尾崎が好きで何が悪い…笑、の巻〜

1992年4月25日。
尾崎豊は26歳の若さで亡くなった。

私は確かその時中学2年生だったと思う。
その頃私は音楽なんて全然聴いていなかった。
マスコミが大騒ぎしているのを見て、
初めて尾崎豊を知った。

大勢の若者が、泣きながら、歌いながら、
葬儀に参列していたのがとても印象に残っている。

センセーショナルなこの事態に興味が湧いて、追悼番組を片っ端から観た。週刊誌にも目を通し、追悼本も買って読んだ。母に頼んでCDを買ってもらった。


それが私と尾崎豊の出会いだった。



今でこそ、私は洋楽も邦楽もちょっとインディー系の小洒落た音楽を聴き、クラブミュージックだってエレクトロニカだって聴くし、フジロックにも何度か参戦したり、そんな音楽ライフである。


そんな私の音楽の原点は実は尾崎豊なのだ。
人生で初めて買ったCDは尾崎豊なのである。


私はこれをずっとひた隠しにして生きて来た。
なぜだろう…笑。


10年くらい前、
自分の結婚パーティーで
「新婦が初めて買ったCDは誰でしょう?」
という4択クイズを出して、
「正解は…尾崎豊!」
と言ったら、
会場中ドッと笑いが巻き起こり、
「えー、マジで?!」
と、眉をひそめられたのだった。
(特にデザイン会社の元同僚たちに…。)


今は開き直っている。
「尾崎豊が好きで何が悪い。」
くらいに思っているし、
これからは堂々と公言していくつもりなのだ。


私は中学生の頃、誰とも口の聞けない人間だった。苦痛で仕方なかった学校に、毎日義務感だけで通っていた。

そんな時に尾崎豊と出会い、
彼の曲、尾崎豊人間そのものに随分救われていたと思う。

その後も人生につまづいたりした時は、
ふと聴きたくなっていっときハマるのである。




「15の夜」「卒業」といった若者の教祖みたいに祭り上げさせてしまった曲、
代表的な「I LOVE YOU」、「シェリー」、
尾崎豊と言ったらこれ、と言われる曲は
正直個人的にはあまり好きではありません。

「僕が僕であるために」「ダンスホール」「傷付けた人々へ」「街の風景」「風にうたえば」などなど、
10代で作ったと思うと驚愕させられ、
この人の生まれ持ってのでしょうか、
感受性の豊かさ、繊細さ、愛情の深さが伝わってきます。

後期作品は苦悩や葛藤、重苦しいのが多く、
あまり聴けませんでした。


いちばん好きなのはこれです。↓
もしも尾崎豊を人に薦めることがあるとしたら、
私はこれ一択です。

大袈裟かもしれませんが、
この曲に、この映像にかな…、
尾崎豊の人間味、思想、才能、センス、
すべてが表れているように私は感じます。


「街角の風の中」

こんなに爽やかに、哀愁を、心の機微を、
歌うんです。

「きっと君は生活に 奪われていく愛より
 幸せになっただろう」

22歳でこれを歌う。
いったいどんな人生経験をしてきたのでしょうか…。



生きること、自由、愛とか孤独とか世の中とか、そんな壮大なテーマをあの頃若かった私は、尾崎豊に近づこうと背伸びして、思い巡らし、いろいろ考えていたように思います。
それは今でもです。


さて、
中2で尾崎豊と出会った私は、だいぶ感化されたのでしょう、一般的なレールをドロップアウトし、いばらの道を歩くことになります。はい…笑。


たまに思いますよ。
尾崎が「サラリーマンにはなりたかねぇ」(「BOW!」)
なんて歌うから、
私、影響されて、こんな人生になっちゃったじゃん。
「尾崎のバカヤロー。」
と。。。


でも、そんなこともいろいろひっくるめての、
それが私の「尾崎豊」です。



リアルタイムで彼を感じ取ることはできませんでしたが、私は中2のあの時、深掘りして良かったと思っています。


すみません、
もうこれ以上語るとドン引きされそうなのでやめておきます。


というわけで、
今日は尾崎豊デー。
久々にいっぱい聴きたいと思います。

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