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Episode 7 歌は言葉にならないのです。

RADWIMPSのファンです。
このブログの表題も、野田洋次郎さんの作詞した歌から発想を得ました

彼の歌詞の世界は、痛烈な皮肉や心の闇なんかも描きながら、マイノリティの視点からも一筋の光を見出せるようで、共感を感じる部分が多いのです。

そんなわけで朝晩の通勤のクルマの中で、よくRADWIMPSは流れています。
ま…流れているだけで、殆ど聞いてないんですけどね

RADWIMPSとの出会いは「アルトコロニーの定理」がリリースされたころなので、2009年ごろだったと思います。
このアルバムに収録されている「おしゃかさま」のサウンドが、とにかく印象的で。
飛びぬけて音楽に強いわけでもなく、自分から積極的に新しいサウンドを探しに行くタイプではないので、イントロからの強烈なギターが私自身には新鮮で。
「いや、これはスゲーぞ!」って。

ただ暫くの間、私にとってこの曲はインストゥルメンタルでした。
歌っているのは分かります…が、必死で聞いても歌詞が全く頭に入ってきません。
早口過ぎて、私の言語聞き取り能力を超える!
結局、歌詞カードに頼って歌詞を理解して、歌として理解できたのは、最初に「すごい!」と思ってからひと月以上経ってからだったと思います。
歌詞が分かってからは、貪るように他のアルバムも聞きました。
彼の世界にのめり込み、そして今に至る…です。

私の場合、RADWIMPSの曲に限らず、音楽(music)は基本的に聞き流します。
上手く聞き取れないから、頭が勝手に聞くことを諦めてしまうんです。
意識が視覚や触覚に集中(過集中)して、耳が疎か(聴覚鈍麻)になる…だから、音楽を聴くには耳に意識を集中し続けなければなりません。
集中力が切れると、何か鳴っているけれど、何がなっているのかわからない状態になります。
「何かがなっている」と気が付く(耳に意識が行く)と、それが音楽だと気が付く、サウンドが頭に入ってくる。
普段は、「あぁ音楽が聞こえる」~意識が耳から遠ざかる~「何かがなっている」と気が付く~「あぁ音楽が聞こえる」~無限ループ…という感じ、その中で「誰かが歌っている」となれば、もう一段、さらに意識を強くして聞こうとしないとなりません。

そんなわけで、歌っている声は基本的に言語ではなくなってしまうのです。
耳が疎かな状態では、声(voice)は音(sound)として理解している…という感じなんだと思います。

RADWIMPSのと出会いは奇跡的でした。
その曲が掛かったタイミングと、音を理解しようと耳に意識が行ったタイミングが合った。
タイミングが合わなければ、確実にスルーです。
もうひとつ言えば、その曲が、私にとってとってもキャッチーだったという偶然。

歌を言葉にするには、私には努力が必要なんです。
なんか作詞家か詩人みたいですが、その意味するところに格好良さはありません。 

旧ブログ アーカイブ 2018/9/21

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