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Episode 660 それが生きる知恵でした。

「心の理論」(Theory of Mind) とは、他者の行動に心を帰属させる機能のことを言います。
もっと簡単に言い換えると、他人の気持ちを推測し、理解する力ということです。
私のようなASDの思考パタンを理解する上で、必ずと言って良いほど登場する認知科学で、「心の理論」の獲得を推しはかる最も有名なもののひとつに「サリー・アン課題」というものがあります。

ネットで「サリー・アン課題」と検索すれば多数の記事にヒットするので、ここではその詳細は省きますが、私はこの「サリー・アン課題」の「正答」を得る方法は、他者視点の獲得という正攻法以外にも存在している…と思っているのです。
先日もTwitter上でそんなツイートをしたのですが…。

つまりですね、私自身が「サリー・アン課題」の出題者(語り部)になることにより、サリーという一人称でもアンという二人称でもない三人称位置から事象を眺めるということで、物語の全体像と質問の意味を理解しようとするやり方が存在する…ということです。

このことは、過去記事「『恐怖』を知ってほしいのです。」の中で「ひとりままごと」をする…という例えで話題に登場します。

第三者位置に立った私は「あなたの気持ちも私の気持ちも手に取るようにわかる気でいる」…ということですね。

つまり、ひとり「ままごと」ということですね。
右手に私、左手にあなたを持ち、「ねぇ、あなたはどう思うの?」
「えーっとね、ぼくはこう思うんだよ」
「ふーんそうなの…」
…と言うように一人でストーリーが進んでいくワケです。
何しろ、私がストーリーテラーですからね、私の思うとおりに進むに決まっているのです。

note記事「『恐怖」を知って欲しいのです。」より

実は、話題にしたこのツイートに対して興味深い引用RTがついたのです。

私はこの「サリー・アン課題」の質問の意味は分かることが大前提で、隠されたことを知らないサリーは「自分のカゴ」と答えると思っていました。
でも、このツイートは「サリーの行動そのもの」という、斜め上からガツンと答えが降ってきた感じだったのですよ。

いやぁ…驚きました。
確かにサリーの取る行動は、先ず自分のカゴで、見つからなければ他の場所って、その通りなのかも知れませんけどね、質問の答えを含みながら、質問と真っ直ぐ向き合ってない違和感が、このツイートにはあったワケです。

ここには、ASDの私が「質問の答えを含む一般論」という「私とあなたの関係ではなく全体像に視点を移す思考パタン」を用いて事象を見ようとすることによって起こる「質問の理解不足」があるワケですね。
あなたが私の意見や気持ちを聞いているのに対して、なぜ私があなたの気持ちに応える方向に気を巡らせてしまうのか?
それは、あなたの質問を第三者位置から見ることで発生する「あなたがその質問を言葉にした意図」を想定することが、ストーリーテラーには必要だからではないか…と。

以前に書いた記事では、あなたと私の関係を上手く回すために「私の気持ちをしまい込む」のが受動タイプの自閉なのだろう…と指摘しました。
だから「質問の正答を探す」とは、私の気持ちに関係なく「あなたの言い分」に沿うように考えてしまうのだと理解していたのです。
勿論それもある…でも、それだけではないようです。

もっと初歩的で根本的な部分に「大きなバグ」があり、答えを含む事象そのものの理解で穴を塞ごうとした結果が「質問に真っ直ぐ答えない」に繋がっていたとすれば、この現象の辻褄はバッチリ合うことになるワケです。

あなたと私という逃げ場のない「一対一の関係」になった時、質問に真っ直ぐ答えない態度は大きな不信感に繋がるのでしょう。
それはもしかしたら「心の理論」の理解不足から別ルートの思考を選んだASDの思考パタンが作り出す生きる知恵の副反応なのかもしれない…と、そんなことを思うのです。

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