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Episode 481 押し付けられると楽なのです。

先日、衝撃的なツイートを発見したのです。
それはいつも歯切れの良いツイートをする、大好きなフーセンカズラさんのツイートでした。

これが「ドキッ!」っとするのは、身に覚えがあるからです。
「ちゃんと」という言葉に代表される社会一般的な価値観が、自分自身の考え方を支配する…というASD思考の弱点をズバリと指摘するからです。

先のnote記事でもお話ししたのですが、この考え方の根には、コミュニケーションの苦手さ故に自分の意見を曲げることが難しいASDの思考パタンの本質が滲み出ているのです。

その点に関しては過去記事をご覧いただくことにして、驚くべきはツイートのつづきです。

フーセンカズラさんの、私のリプへの返信はこれ。
注目すべきは、「体育会的ではなく、軍隊的な組織との意外な親和性の高さ」ということ。
体育会的と軍隊的…その差は一体何ぞや?
この一言に、ASD的な思考の謎が隠されている…と指摘するのです。

一般的にトップダウン型の強権組織の典型とされる体育会と軍隊。
私が思う「その違い」は、「自分の意思が通る余地があるのか」…ということです。

例えば野球やサッカーの場合、チームとして勝つことが求められるワケですが、プレーに個人のインスピレーションが入り込む余地は多分にあると感じます。
監督やコーチなど、スタッフからの指示があるのは当然なのですが、その一方で選手同士のお互いの意思疎通でプレーの方向性は大きく変わり、試合の流れを作ることも多いハズ。
それに引き換え軍隊で「個人プレーが許されるのか?」…と考えたときに、戦局を大きく変える個人プレーが存在する可能性はあまり多くないどころか、個人プレーが全体のバランスを崩し、作戦変更を余儀なくする原因になりかねないことの方が多いだろう…と。
全体を通して個人の主張を一切許さない「徹底したトップダウン型の意思統一」が軍隊的な組織の本質と、私は考えます。

そう考えたとき、私の過去に思い当たるフシが…。
そう、度々話題にしている通り、私は「応援団」出身者。

つまりですね、

(応援団の)活動は派手なパフォーマンスで一方的に一般学生を巻き込む手法なワケで、そこにコミュニケーションの駆け引きもへったくれもないわけですよ。
さらには、いわゆる体育会的な縦社会がガッチリと生きていて、完璧主義でルールを守りたい私にとっては、かえってこれが好都合でした。
一言で言えば「理不尽<ルール」ってことです。

…ということです。
この記事を書いた2年前(2018/11/13)には明確に気が付いていなかったけれど、無意識の内にASD的な思考パタンの落ち着く場所を見つけていたことになります。
組織として絶対的な価値観が最優先され、擦り合わせるまでもなく意思統一を図ることができる軍隊的な組織の居心地の良さに、学生時代から気が付いていたということ。
それは体育会的ではなく確かに軍隊的、「理不尽<ルール」であるということ。

学生時代という早いタイミングで、この「軍隊的」組織を経験した私は、ただでさえ意思の摺り合わせが苦手なのに、さらに意思の摺り合わせを拒絶する組織に所属することで、コミュニケーションを習得する機会を失うことになったのだと思います。
その一方で、苦手にぶち当たることなく日常を過ごすことで、結果的に「平和」な学生時代を送ることができたともいえるのです。

軍隊的な組織との親和性の高さ…。
自分の過去とつながるひと言で、私のASD的思考特性の謎がひとつ解けた気がするのです。

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