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Episode 451 レーダーから消えてしまうのです。

前話の記事を書いてからASD的な会話の「ズレ」について、Twitterで再びまめさんと意見のやり取りをしました。

ここから始まるリプライ・ツリーの詳細はツイートにジャンプして確認していただくとして、私はこのやり取りの中で二種類の「ズレる」があることに気が付きます。

ひとつ目の「ズレる」の感覚は、前話で話した内容です。
聞いた(読んだ)話の核心をつく部分が「あまりにも普通過ぎ」て引っ掛からないのです。
前話であれば、

「自分の外国語がネイティブスピーカーにはどのように伝わるだろうか?」という視点は「自分の言ったことが定型発達者にはどう伝わるだろうか?」というのと似ているからです。

というLuさんの言う内容が、「私の話が人に真っすぐ伝わったことがない」という私が持つ感覚とマッチし過ぎて「当たり前のこと」としてスルーされるワケです。
その結果として認知特性の違いがクローズアップされて論点がズレる…ということです。

そしてふたつ目の「ズレる」が、これ。
ひとつ目の「ズレる」のように、自信満々にズレた話題(ツイート上ではそれを「草大福」と表現)を振っているのではなくて、端から自信が無くて、場つなぎ的に話題を振ってみる…と言うヤツ。
そう言えば以前にそんな記事を書いたことがあったっけ…。

冒頭のツイートの中で、まめさんは定型のコミュニケーションは「餅」という言葉の意味そのものよりも、感情の向きという中に入っている「餡」が重要だと話します。
あなたと私の「餡」の指し示す向きが一致しているか確認する手段が「餡」を包む「餅」の部分である言葉である…と。
だから「餅」の部分の内容は意外と軽い…なぜならば、餡の向きが確認できれば、目的の大半は達成されているから。
その一方で、傍にいるだけで安心してしまうASDは、言葉を使用して「餡」の指し示す向きを確認する必要がありません。
ただ…埋め込んだブログ記事でも書いた通り「ASD×定型」の場合だと、無言のプレッシャーがお互いの肩に重くのしかかることになるワケです。

私があなたといて、私の安心を得た途端に、あなたがコミュニケーションの拠り所にする「餡」がレーダーから消える…。
それはそうです…私が言葉という「レーダー波」を発信しなくなるワケですから「餡」の指し示す向きが見えなくなるのは当然です。
そして私は、レーダーが利かなくなって手探り状態に陥ったあなたの様子を「見て」不安になる…。

大好きなあなたの「異常」を「見て」察知した私は、脳内で「言葉を発しなさい!」という警報を鳴らします。
でも会話が途切れている…つまり、レーダー波は途切れてしまっているワケで…仕方がないので話題を置きに行くワケです。
慌てて置きにいった話題が「白大福」なら…とりあえずOK、「草大福」なら引っ込めるしかないってこと。

ASDのパートナーをもった定型者がコミュニケーションで感じる物足りなさとは、ASD的な安心が作り出す「構造的なもの」なのかも知れません。
安心感が厄介を作り出すとは…なんともガッカリな話ですが…。

この記事を書くにあたって、Luさんのこの記事を参考にさせていただいています。
傍にいて安心してしまう「しくみ」について、丁寧な解説がなされています。
合わせて読まれると、理解がグッと深まると思います…ぜひ。

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