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Episode 605 用語が先は危険です。

私のnote記事は、話のネタとして「ガンダム」がチョコチョコと顔を出すのです。
私にとっての「ガンダム」は、勧善懲悪ではない「双方の正義を以って戦うことがある」ということを初めて突き付けた物語だったのです。
ガンダムシリーズ第一作のTV放送が1979年のこと…小学校3年生だった私は、リアルタイム放送を見ていたワケです。
その「ガンダム沼」にハマったのは再放送されていたころ…劇場版のガンダム三部作が公開された小学校高学年になってからでしたけど。

そんなガンダムの魅力のひとつとして、敵方を「通称」で呼ぶ演出があります。
主人公であるアムロ・レイが所属する地球連邦軍の強襲揚陸艦「ホワイトベース」をジオン側が首尾一貫して「木馬」と呼んだのは有名で、その他にもアムロが搭乗する「ガンダム」は「連邦の白いの」とか、宇宙戦用に改修されたジオン軍のモビルスーツ「リック・ドム」を連邦側が「スカート付き」と呼ぶとか…色々です。
そもそも兵器なるものは「国家機密」であることが多くてですね、敵国兵器の正式名称などというものは、国威発揚のために意図的に宣伝するか、諜報活動によって漏れるかの二通りぐらいしか知る機会はないのですよ。
だから、現場では相手の特徴を捉えて「通称」を使う…というのは理に適っているワケですね。

さて…私は先日こんなことをツイートしたのです。

私がこのブログシリーズを書き始めたのは2018年9月のこと…今から3年半ほど前のことです。
途中で「note」に活動の場所を変更したので、2020年5月以前の記事はアップ日付と実際に書いた日が一致しないのですが、古い方の記事を振り返って読むと、ある特徴があることに気が付きます。
それは、ASDと診断された私が、私の中にあるASDの部分を必死で探して「何とか自分自身とASDの特徴を結び付けよう」と努力しているような記述が目立つ…ということ。
それは「私がASDある」と認めようとする努力だったのかもしれません。
ですから、どうしても「私のこんなところがASD…だからASD特性の〇○と一致しているよね」という書き方になってしまうのです。
今になって振り返り、何とも無理やりな「障害者根性」に我ながら失笑してしまいます。
残念ながら、そんなことをしている内は、障害の自己受容なんて難しいのだと思うのです。
今だから言えることですけどね。

この感覚を実現できるのは「当事者」だけだと私は思っています。 
当事者の言葉が重要なのは、当事者以外には実現し得ない本人の感覚を具体的な現象としてお話しできることにあると思うのです。
 それを「専門用語」に落とし込むことが専門家の仕事…私のような「素人」がすることではないと思います。

ASDの特徴として良く言われる「シングルフォーカス」「シングルレイヤー」「ハイコントラスト」みたいな言葉を先に持ってくると、「私のどの部分が『シングルフォーカス』なの?」などということを探す様になってしまうのですよ。
そして自分自身の中に「シングルフォーカス」の部分を見つけると、「ほら、私は『シングルフォーカス特性』を持っている」となり、シングルフォーカスが既定の事実として確定してしまうワケね。
実際は、「シングルフォーカス」の時もある…なのですけどね。

これは「発達障害である私」を知っている「あなた」にも起こることです。
ASDの専門書からASDの特徴として「シングルフォーカス」を知ったあなたは、「私の『シングルフォーカス特性』を持っている」部分を見つけることで、私のシングルフォーカスを既定の事実として確定させてしまう…という可能性があるということです。

実際はそうではないワケですよ。
それは、以前にASDの「積極奇異」「受動」「孤立」などのタイプは固定されず、状況によってどのタイプが表に出るかが変わるハナシで説明した通りなのです。

「専門用語」というのは、どんなものなのかを表した「結果」でしかないのだと思います。
本当に大事なのは、そこに行き着くまでの特徴を示した、あなたのアイディアとインスピレーションに溢れた言葉の方なのね。

「ガンダム…!」と叫ぶのと、「連邦の白いの…!」と叫ぶのでは、滲み出る恐怖感が違う気がします。
そこには「通称」が通るほどのインパクトがあり、そのイメージの共有があるワケですよ。

自分の特性を理解する上で重要なのは、特性を指し示す「用語」ではなく、自分を表現する感覚の方。
特性を指し示す「用語」なんて、後からいくらでも追加できるものだと私は思うのです。

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