見出し画像

Episode 539 当事者抜きでピンボケです。

今でこそサッカーと野球はそれぞれにプロ選手がいる人気スポーツですが、私が小学生だった昭和50年代でプロのスポーツ選手がいるのは野球の方だけで、その人気は絶大だったのです。
後は格闘技ですね…相撲にプロレスにボクシング。
それぞれに人気はあって、スター選手もいましたよ…北の湖に千代の富士、ジャイアント馬場にアントニオ猪木、具志堅用高氏の世界タイトル防衛13回という記録もこの時期でしたけどね、格闘技は子どもの遊びには向かないのですよ。
子どもの遊びで出来るスポーツは、やはり野球が一番人気だったのです。
その野球については、前回の記事でも登場している通り、右利き/左利きで動きが異なる部分が存在する「アシンメトリー」なスポーツであると指摘しました。
そこを踏まえて…左利きを題材にしたマイノリティの話…第3話は「当事者抜き」という現象を考えてみます。

改めてこのツイートを。
私は子どもの頃に野球に親しんだ世代ですからね、当然バットとグラブぐらいの道具は持っていたのですよ…決して値段の張る良いものではなかったですけど。
左利きの私のグラブは、右手にハメる左利き用のグラブでした。
これを買ってもらった時はものすごく嬉しかったのを覚えています。

左利きが左利き用のグラブを使う…ということが当たり前で普通だったのは、野球というスポーツには左利きのスター選手が多くいたことが大きいと感じます。
それこそ私の世代では王貞治氏がその頂点にいたワケで、ホームランというキーワードでつなげば野球草創期のべーブ・ルース氏にまで行きつくのです。
ホームベースを挟んで左右のどちらにも打席があることが、「どちらでもいいよ」という安心感にも繋がった…というのもあると思います。
このように野球はアシンメトリーでありながらも左利きに寛容なスポーツであったために、子ども用でも左利き用のグラブが普通に売っていた…そのグラブを持っていることがプレーに必須であったことは大きなポイントになるのだろうと思います。
学校から帰って、玄関にランドセルを放り投げて、バットとグラブを持って広場に集合…なんて、マンガやアニメのドラえもんで描かれるような「小学生の放課後」が、私が子どものころは「ごく普通」だったのです。

ここで重要なのは、ツイートでも書き記した通り、左利き用のグラブが自分が独占的に使う占有物だということです。
広場に集まった子どもたちは、それぞれに自分のグラブを持っている…ココがポイントなのです。

マジョリティである右利きも、マジョリティ専用である右利き用のグラブを使うのね…同じように左利きも左利き用のグラブを使う、ここだけ見ればイコールの関係に見えるのです。
でもこれは、野球をする時に「しか」通用しないということを、マイノリティである左利きは知っているけれど、マジョリティである右利きには気が付きにくいのですよ。

世の中の標準は多数派に有利にできているということは、前回前々回の記事で指摘した通りです。
基本的に世の中の製品は右利きに有利にできているのです。
経理が使うような大型の電卓だって、PC用のキーボードだって、右利きの人が使いやすいようにキー配列されているワケでして、度々登場する自動改札だって、当然のことながら右利き有利なのです。
キー配列が鏡に映したような左右逆転のキーボードなんて、必死で探してあるかどうか…っていうか、あってみたところで使いこなせないと思うのですよね。
だって、その「左右逆転キーボード」って、持ち歩かないでしょう?
自宅にあるPCが仮に「左右逆転キーボード」でも、職場にあるキーボードが標準配列なら、両方に慣れる必要があるよね…それに意味があるのでしょうかね。
当然、自動改札も左利き用を持ち歩くわけにはいきませんよね。
つまりね、左利きが左利き用を使うのは、専用品でいつもプレーできるときに限られるってことですよ。
この限りではない時は、右利き用にできた社会で「ステップ」を踏むことで左対応する工夫をするワケです。

この左利きが右有利の社会に対応する行動を、右利きの人は理解する必要があります。
マイノリティの不便を考えて、マイノリティ専用品を用意してくださる気持ちは有り難い…でも。
常に個人で利用する占有物でない限り、専用品は足かせにしかならないのですよ。

左利きのプロの理容師が「自分の仕事の為に左手用のハサミをフルセットで用意する」…は、アリです。
プロのハサミですからね、他の誰にも使わせないでしょうし、出張で仕事に行くときも仕事道具として持って行くでしょう。
でも、どこの家にもどこの事務所の机にも、左手用のハサミを用意してあるか…と問われれば「No」ですよね。
だから左利きは右手用のハサミを左手で使える様に握り方を工夫するのですよ。

単純に専用品を用意すれば物事は解決する…ワケがないのですよ。
世の中はマジョリティが有利なアシンメトリーの形をしているのです。
当事者の話を聞かないと、このアシンメトリーに気が付かず的外れな施策になりかねないのです。
当事者抜きの的外れ…は、「世の中は不平等である」ということに気が付かないことで起こるのだと、私は思うのです。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?