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Episode 489 理屈じゃないを知るのです。

掛かりつけ医のベットの上で、母は点滴を受けている。
薬の名前はよく聞いていなかったが、目まいを抑える薬だとの説明だ。
母はこの点滴を何度か受けたことがあるようだ…対応してくれた看護師さんが慣れた手つきで作業しながら、そう教えてくれた。
こんな点滴を受けるまで体調が良くない日でも、自分の体を忍てまで父を優先してデイサービスに送り出し、タクシーを呼んでここに来たいた事が、あるということだ。
そして、薬で抑えた万全ではない体を引き摺って「郷里の家」に帰り、何事もなかったように父の帰りを待ったのだろう。

そんなことを思っていたかかりつけ医の待合室で、声がかかる。
「ちょっと、診察室へ。」
呼ばれて先生のところに行くと、前置きも無く先生がひとこと、
「薬がね、あんまり効いてないんみたいなんだよ。」
どういうこと?

深夜に電話があったのはGW明けの5月中旬のこと、母が焦った上ずった声で「父さんがいなくなった」というのです。
流石に一瞬で目が覚めた私、驚きの声が出てしまったようで隣で寝ていたパートナーも起こしてしまうほど…時計を確認すると午前1時半過ぎ。
「とりあえず、警察…110番、すぐに行くから!」
そう言ったものの、昨日寝たのが午後11時頃で…どう考えても酒が残っている…。
「うーん、仕方ない…タクシー呼ぶか。」
コロナ禍の昨今、「夜の街」を中心とした営業・外出自粛が求められた、あの一番悪い時期、夜中に走っているタクシーの台数も少ない…。
ジリジリと焦る気持ちを抑えて待つこと20分、ようやく来たタクシーに飛び乗った郷里の家に向かう車内で思う…これが「徘徊」だよね。

私の耳に届いた、父の「具体的な大変さ」は、ここで大きな転機を迎えます。
じわりじわりと父の認知症の症状が重くなってきているのには気が付いていたのですが、面と向かって話している分には普通の会話ができて、その忘れるまでの時間が短くなっていく状況しか私は見ていなかったのです。
でも実際は、一番大変だったのは夜だったのです。

深夜のトイレが「頻回」…つまりね、夜中に頻繁にトイレに行くって話なのですが、父が起きて…自宅のトイレの位置が分からなくなるのです。
その度に母を起こす…「トイレどこだった?」って。
夜中に1回ぐらいなら何ともないでしょうが、5回も6回も夜中に起こされていたらたまりません…。
その度に父をトイレに連れていき戻ってきて…を繰り返していたら、母は寝るに寝れないワケですよ。

でも、問題はそれだけではなかったのです。
何度も起こされれば母も疲れるワケで、疲れた母が起きられなければ、父は諦めて独りでトイレに行こうとするワケで…。
そして、事件は起こる…トイレを探して玄関を出た…。

そもそも位置関係が分からなくなることで気が付いた父の認知症なのです
そう言えば、日中もトイレの位置が分からなくなることはあった…でも、日があって明るいこともあり、手で指し示せば「あぁ…」と直ぐに分かってもらえたから、気にしたことが無かっただけなのかもしれません。

認知症の方の介護の難しさは、記憶が歯抜けになっていく当事者の苦しみはもちろんことですが、当事者のカラダが利く分、その介護者の精神的・肉体的な負担が大きいのです。

所轄警察署の警官が数名で「郷里の家」の周辺を捜索して、父は家から約1km離れた路上で無事に保護されます。

この徘徊騒ぎで両親の夜の大変さが浮き彫りになり、父の介護の方向はここで大きな曲がり角を迎えます。
「父の安全」と「母の負担」を考えて、「夜の負荷」を抑えることが急務だというのは明らかでした。
ただ…母はこんなに大変な思いをしても、まだ頑なに方向転換に応じようとしないのです。

合理的・具体的に考えるASD思考ではなくても、「このままではマズい」と考えて説得を試みる場面だったと思います。
どう考えても私の方が正論で、母の屁理屈に付き合っていたらいつ事故が起きてもおかしくない状況で、「理屈じゃない」母の想いをどれだけ汲んで妥協点を見出すのか…。
もっと早い段階で母の気持ちを汲んで話を聞いていれば、ここまで拗れなかったのかも…あの時、一方的にデイサービスを押し付けず、話を上手に聞いていれば、「夜のこと」を察知して手が打てたのかもしれません。

「日中を手放すからには、夜は守りたい。」
母を頑なにさせてしまったのは、私の合理的すぎる思考だったのかも…と思うことがあるのです。


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